「癌は誰が治すのか」ー松野哲也講演会 第一部
ずいぶんとご無沙汰している間に、師走ももう10日以上過ぎました。
師走というのは、師(先生)が走ると思っている方が多いと思いますが、実は「法師が走る」という意味なのです。
陰暦の師走(12月)は、1年の浄化をする月なので、法師はあちらこちらから厄払いを頼まれて奔走していたので師走と言われたということです。
現在は太陽暦なので節分は陰暦より1ヶ月ほどずれた2月初めですが、陰暦では12月31日の大晦日に行われる悪鬼を払い厄病を除く儀式で、追儺(ついな)と言います。
さて今日は、10月31日に行われたコロンビア大学の松野哲也博士による講演の内容を報告します。
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死こそ常態。
生はいとしくもはかない仮の姿(蜃気楼)。
私達は何かを学ぶために仮の姿を身につけまとう。
生きていることは奇跡的なことなので、一瞬一瞬を生きるしかない。
私達は三次元の空間の中で生活しているけれど、そうは感じ取れない心というものを持っている。
脳は心をラジオのように受信したり発信したりする装置。
あの世とこの世を繋ぐ装置。
現実世界は心で見る世界。
私達が三次元にいると、三次元がわからない。
日本の今の医療は違った療法があると、非科学的というレッテルを貼って排除している。
私達は、目に見える物を脳を解して記憶にあるように解釈する。
例えば、へこんだ顔を見たことがないので、顔はふくらんでいると解釈する。
私達はありのままにものを見ることはできない。
必ず解釈とか感情を伴って見る。
例えば、立方体は二通り見方ができるが、同時には見ることができないので、一通りの見方しかできない。
そういう見方が私達にすりこまれている。
今の医療では、生かしておくことに意味があり、死ぬことは敗北だと考える。
良いもの・完全なるものが基準。
「病気に対して健康」というように二つののものの対立、二分法から離れないことが、我々の周りに争いが多い理由。
例えば、「細菌・ウィルスが猛威をふるう」ということはないが、私達が対立的な思考によって勝手にそう解釈する。
O157などは、下痢によって毒素を出してしまうのがよいのだが、対立的な思考によって抗生物質で退治しようとするので、抗生物質の治療によって死亡することがある。
私達には、全ては因果関係と意味によって条件づけられていると考えないと納得しない傾向がある。
例 「明け方、私は救急車のサイレンの音で目を覚ました。」という場合。
実際は、徐々におぼろけに私という意識が浮かぶ。→救急車のサイレンの音→明け方だと気づく。
「意味の病」は治らないかもしれないが、「病気」は治るべくして治る。
今の科学では、人間の意識は脳のニューロンで作り出されるという考え方。
量子力学的にとらえると、意識活動は現れては消える複雑な活動。
脳が働いた時は、必ず真空状態と繋がっている。
記憶が蓄えられるのは、真空状態(ゼロポイントフィールド)。
脳神経細胞の中にも真空がある。
記憶は真空状態から取り入れている。
したがって脳の働きは宇宙の真空とかかわっている。
私達は常時あの世と繋がっている。
記憶は脳神経細胞の中の真空(空間)から取り出してる。
真空(無の空間・あの世)は、ものすごいエネルギーを秘めている(すべてがそこに蓄えられている)。
他人の記憶を引き出している可能性はある。
他人の前世を自分の前世と思い込むこともあるだろうが、証明はできない。
一人の人間が生まれ変わるのではないかもしれない。
ブライアンワイスの説で納得したのは、「自分の何らかの恐怖や病が前世を体験すると消える」という説。
夢を見る=無意識の世界と繋がる。
夢が不思議なのは普通の認識ではとらえられないから。
癌を含めて病気になった時は前向きでなくていいので、変わることが大事。
例えばいつもと違う食べ物を食べる。
病気の症状のことばかり朝から晩まで考えている人が多いが、こういうことから離れて忘れてしまうことが大事。
原因と結果は一対一ではない。
複雑に繋がっているのでどれがどれかわからない。
そんなに簡単にわからない。
病気であれ何であれ、縁とか運とかいうもの。
最終的には易学。
意識を変えることが大事。
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面白い話はまだまだ続くので、今日はこの辺で終わって続きは次回ということにします。