青空禅フォーラムin東京に参加してきました。

去る11月29日・30日と大阪和サンガ1年コースのメンバー3人で東京へ行き、29日はDr.伊東の「青空禅フォーラムin東京」(プロトマニアにて開催)に参加し、30日は「次世代の癒しシンポジウム」に参加してきました。

Dr.伊東のお話は、いつどこでどんな話を聞いても新鮮なエネルギーが流れていて面白いので、今日は青空禅フォーラムin東京で聞いた話を少しばかりかいつまんでお伝えしたいと思います。

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この世界は二元対立(二極)の構造になっていて相対立するものをもって表現される。(物・思考・概念etc)

しかし、二元対立を超えた自己の本質があることに気づいていることこそ大事なポイント。

何故なら、
二極の世界は決してとどまることなく変化していて静止しているものは何一つない。(二極があるから地球が回転するようにすべてが回転し続けている。)

ネガティブシンキングよりポジティブシンキングがいいという考え方がある。

この考え方は、多くの人々にとってある程度上手くいくが、なかなか長続きしない。

そしてネガティブシンキングもポジティブシンキングも避けることができないので、それを超えた何かがあるに違いないと考えるようになる。

例えば、天秤ばかりの両極にポジティブシンキングとネガティブシンキングがあるとする。

思考は常に両方に揺れ動いて中央の支点にとどまることはできない。

しかし支点こそがネガティブとポジティブの両方を見切っている。

不動の一点のみがネガティブシンキングとポジティブシンキングの真ん中にあって両方を同時に見切ることができる。

この不動の一点に入っていくためにはどうしたらいいか。

思考を使って不動の一点へ入っていけるか自問してみよう。

幸と不幸を同時に考えることができるかやってみる→できない(時間が必要)

幸と不幸の感情を同時に感じることができるかやってみる→できない(時間が必要)

考える・感じるで不動の一点に入っていくことはできない。

このことを確認しただけでもエネルギーの浪費が防げる。

考えることや感じることによって真我の一瞥体験や何もなさを感じることで、不動の一点にある程度近づくことはできる。

しかし、ある地点においてはそれらを完全に捨て去らなければならない。

2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎先生は、逆さに立てたボールペンがバランスを崩したことに神秘を感じて「自発的対称の破れ」(自発的に対称性は破れる)という原理を発見し証明されたのだが、このことからこの宇宙では完璧な美(自己の本質・真我)は自ずから対称性を破ってしまうので存在できないということがわかる。

この原理は自己の本質に気づき没入していくために使える原理。

私たちはこの時空(宇宙)の中で完璧な美(自己の本質・真我)を探している。

近くまでは行けるのだが、探している時空が違う。

ところで真我を探すこつは、

その1

完璧な美は「今ここ」という瞬間性の中に存在できる。

これは自明の理なので、この真実を理解し腑に落とす。

その2

時間の中で探すのをやめる。

時間⇒原因と結果(因果)

時間に縛られている=因果に縛られている。

私たちは、何かが起こった時「何故…?」と原因探しを始める癖がある。

「どうやって真我を探したらいいのか?」とつい考えてしまう。

「どうやって」と問うた瞬間、因果の法則にはまってしまっている。(しょっちゅうはまっているよー筆者)

こと真我に関しては、因果によって達成できることはない。

しかしつい質問してしまうことは止められないので、「どうして…?」という質問がでてきたら、質問についていかないぞととどまるか、「この質問はどこからやってきたのか」を静かに問う。

質問について行かないで源流をたどる。(質問の出てきた源に意識を向ける)

思考になるべくついて行かない。

間をあける。⇒無心の一呼吸


物質を構成している原子の中心には原子核というのがあって、原子(10のマイナス8乗)と原子核(10のマイナス13乗)の間はスカスカで何もなく、3次元の空間とは違う超特殊空間=因果律が崩壊している空間である。

原子内空間は物質とリンクし影響を与えている。

この空間と共鳴するためには、因果でものを考えない習慣を身につける。

「ただ足りているなあ」ー間をおく実践

とか

ボールペンを逆さに立ててバランスを崩すことに神秘を感じた南部陽一郎先生のように日常のなにげない一コマに感動する瞬間を持つことが大事。=支点磨き
初めは振りでいいが振りを続けていくと、ある時突然乗っ取られる時がくる。



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このお話を聞いた後、伊東先生やスタッフの皆さんと一緒に超美味しい中華料理をいただきました。

青空意識も求めてもいるが美味しい食事も求めている、あるがままの状態で無心の一呼吸や源流を探す旅を楽しみます。