風が吹く
皆さんこんにちは。
昨日伊東Drの神戸定期講座に参加しました。
その内容を報告する前に先月(8月22日)の定期講座の報告がまだできていなかったので、先に先月の内容を報告しますね。
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日常の生活の中で1分でも2分でも不連続な時間を作ってリラックスすることは、大切である。
うまくいかなくてもやってみようという気持ちが大事。
静かにしようとすればすればするほど、思考だらけになる。
マインドは必ずうるさくして邪魔してくる。
必ず抵抗が出てくる。
しかし、すぐに自分には向いていないとあきらめないで続けていくと、やがて静かになる。
電車に乗っている時でもトイレでもできるのでトライしてください。
本当の意味で何でもありだと言うためには、理屈抜きの世界にいることが必要。
私達は往々にして人生の困難にぶちあたりながら内面に向かう。
どの道を行こうとすべてよし。
本末転倒した世界の中で本質探し、自分探しをしてもどこかで壁にぶち当たる。
何かが違うという感じがする。
この講座では本末転倒(ひっくり返った)世界が揺さぶられる感を味わってもらうことがねらい。
13歳の時大病をしてからあらゆる難行苦行をして自分探しをしながら本末転倒について、これは違うと感じながら本質を探ってきた。
思考で「幸せなこと」と「不幸なこと」を同時に考えるのは無理。
同様に感情で「幸せなこと」と「不幸なこと」を同時に感じるのも無理。
二極の世界で大いなる自己を考えたり感じたりすできるかーできない。
思考や感じることでは近似値までは行けるが、そこ(本質)までたどりつくことはできない。
このことを見切って…
普通は肉体は私と同化して生きている。
少し進むと肉体は乗り物だと思い始める。
心=気分・感じ・思考=雲=本質ではない 意識=青空=本質
絵に描いた餅ではなくそれを食べるつまり青空として生きるためには…
見ようと思えば自分の感情や思考を見ることができる。
見ている側(本質・青空)ー見られている側(対象・雲)
心でさえ対象である。
普通は心(雲)の中で自分探しをしているのだがが、雲の中で問題をどうにかしようとすることと私達の本質を探すことは別の問題。
本末転倒している。
例えば常に動く雲の中で不動心を探すのは無理。
あらゆることをやりつくして万策尽きてバタンと仰向けに倒れる瞬間がある。
その時何の対象物もない青空しかないことに気づく。
これを仏教では「一瞥体験」と言う。
しかしこの程度ではまたすぐに戻ってしまう。
人生のあらゆる状況を見ているだけでなく雲そのものさえも静かに見続けている私がいる。
雲として人生の状況を生きていると、雲と雲を比べてジャッジし続けて生きていく。
本末転倒した世界でそれをやり続けると、それは必ず苦につながる。
雲を消し去ることが目的ではない。
雲を消し去ることが目的だと考えると苦行になる。
雲が私だと思って雲と同化して生きていることに気づくことが大事。
雲から雲を見ると「ジャッジ」になるが、青空から雲を見ると「ただ見ている・ただある」だけである。
青空のまなざしは全員もれなくもっている。
そこに気づいて青空を主として雲を従として生きると主客転倒が正される。
そのことに成功した人は本当はどうしてそうなったのかわかっていない。
「ただ風が吹いただけ」
雲がいくらがんばっても風が吹かなければ願い(思い)のところへは行けない。
青空=意識=本質
雲=心・感情・思考=本質でない
これを実践していくとゆとり(スペース)が生まれてくる。
そのための方法は
1、少しの時間でもいいから日常(雲)のリアリティの連続性を断つということが大事。
例 瞑想・座禅(意識を青空に向けること)
これを続けていくとそのうち風が吹く
2、気づきのスペースを保つ
いらないジャッジ(雲)に同化しない自分なりのサインを作って楽しみながら雲カットをする。
こつは完璧主義に陥らず1割主義でよしとし、一人でやるのは難しいので仲間を作って一緒に歩んでいくことは大事。
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自分でああしようこうしようと考えて動いても、それは結局雲なので上手くいかないけれど、
その雲をカットして(流して)ただ流れに任せていると時間はかかってもなるようになるものだと最近つくづく感じています。
「結婚と職業は最初から決まっているんです」といつか伊東Drが言われたことがありましたが、
そう言えば今の職業は何故か向こうからやってきて、私はその流れに乗っただけだし、結婚も何故か現夫とはすんなりと流れるように結婚し、価値観は違うけど別れようとも思わずにどちらかが死ぬまで付き合いそうな感じである。
めんどうくさがりで努力ができない私は、最近特にああしようこうしようとは思わずに、青空を感じる時間を毎日どこかでもつようにして、ただあることを大事に暮らし風が吹くのを感じて待っているだけなのです。
そうすれば雲がわいてきてもすぐに流せるたいしたことのない雲なので、毎日平和に暮らせるのです。
瞑想を毎日の生活に取り入れ始めて1年以上過ぎましたが、ゆとり(スペース)ができたせいか毎日落ち着いて暮らせるようになっただけでなく、気がつけば理屈をこねたり感情バランスを崩すことがなくなり、感情に流されることなくその感情を感じることができるようになりました。
私と娘にはこの伊東Drの教えに出会ったことで、癌や鬱にとらわれないで生きていくことができるようになったので、少しでも多くの求める人に知ってほしいと思って、このブログを書いている次第です。