2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

空間には何も起こっていない

和サンガで伊東Dr.から聞いた話その3 ある人が近しい人との対立関係に悩んでいてそれを相談した時、 「あなたは相手という物(心身)にフォーカしているので相手のことをあれこれ思考して様々な感情が起きてくるが、その時空間は何かしていますか? 物にフ…

因果はあるのか?

例えば失恋したのでやけ食いをしているという場合。 失恋したこととやけ食いは原因と結果なのであろうか? やけ食いしているのが今とすると、失恋したというのは過去のことでありもうないことである。 今はやけ食いしていることが起こっているだけである。 …

私とは…?

感覚は私ではない。 目は直接物を見、耳は直接音を聞く。 けれど、私たちは「私の目」「私の耳」と思い、「私が見る」「私が聞く」と言う。 目や耳は誰のものでもなく、それを所有する人はいない。 目や耳はただの機械にすぎない。 目は映画のスクリーンのよ…

私たちの意識は世界に魅了されている。

日曜日の伊東Dr.に聞いたお話その2 ラマナマハリシは、現れの世界を蛇に、実在を縄に喩えて、 「道に落ちている縄を見て即座に蛇だと判断して(錯覚)思い込み信念として固定化する。 見直そうというゆとりがないため、緊張してあたかも蛇が実在であるかの…

言葉では表現できない何か

昨日の伊東Dr.の大阪和サンガ4期第一回は以前にまして面白かった。 あまりにも面白いので、出し惜しみをして少しずつシェアするつもり…(^_-)-☆ 今日はね、非二元や真の私を探求している人の自分の内なる状況について自己検証の指標についてシェアします。 …

どんな記憶でも全て改ざんされている。

昨日伊東Dr.&和サンガメンバー8人でお食事会をしました。 その時記憶に残った伊東Dr.の言葉。 「どんな記憶でも記憶である限り全て改ざんされている。」 そうなんです。 わたしも時々いやしょっちゅう自分の都合のいいように、話が面白いように改ざんして話…

非二元(自己の本質)の探究は難しくはない。

秋晴れの気持ちのいい朝、玄関の扉を開けるとどこからか甘い香りが漂ってくる…。 「あぁ、これは金木犀の香り…」と思いながら門を開けて外へ出ると、お向かいの家の前の金木犀が今を盛りと咲き誇っている。 金木犀の甘い香りに包まれながら坂道を降りていく…

何もないのだろう。

日々様々なことが起こるのでそれなりに反応するのだけれど、思考に引きずられるということが少なくなった。 それでもだわって頑張っていることなんかの場合は、ちょこっと引きずられたりする。 そんな時は、まず引きずられていることに気づいて、じっとその…

「悟りを開く」とは…?

先日娘の友人が生まれて3ヶ月の赤ん坊を連れて遊びに来ました。 畳の上に寝かされたん坊は上機嫌で、傍に座っている両親や私を見ているのですが、その視線の動きが気になったので、観察していました。 私達大人は時計なら時計に直接フォーカスするけれど、赤…

主体も客体もない。

スピリチュアル系の人がよく言う「…を手放す」という言葉がある。 その言葉を聞くと、 「いったい誰が手放すのだろうか?」という思考が湧いてくる。 手放す主体は、もちろん「…を手放す」と言っている本人なのだろうけれど、 何かを手放すことで、手放した…

真の私

こちら側にいて、あちら側を見ているだけで、ただあるだけで、何かあるようでその実何もない。 個人の私と錯覚するくらい近いけれど、個人の私はそれが見ている夢の存在であって、それではない。 それは個人の私の源であり本質である。 この世のありとあるも…

わからないから面白い。

今朝方見た夢の中で、何のつながりもなく唐突に、草原の場面から家の中の場面へ場面が変化した。 その夢をを見ているであろうと思われる存在(たぶん私?)がその場面を見て、 「連続したストーリーのように見えているけれど、こういう風に場面は変化して繋…

それはいったい何なのか?

じっとしていても動き回っていても思考は湧いてくる。 もちろん瞑想していても思考は湧いてくる。 眠っている時は夢として思考は湧いてくる。 はて…? いったいどこから思考はやって来るのか? 思考の源を観察しようとしても、全くわからない。 源がなくて思…

不確実さ不安定さを信じる。

非二元・真の私・悟り・青空意識等を探求している人のお手本はその道の先駆者になるので、どうしても先駆者の話を聞いたり本を読んだりして、その人と自分を比較することになる。 しかし本質的には自分も他人もいないので、先駆者の話や本は参考にこそなるけ…

言葉の力

何かの刺激に反応して感情が動くと、思考はすぐさま言葉を使ってそれに名前をつける。 悲しい・嬉しい・腹立たしい・感動的な等々様々な言葉を使って名前をつける。 すると不安定で形がなくただのもやもやでしかなかった感情が、形が整えられて存在を与えら…

生きていることはリアルじゃない。

幼い時から時々生きていることがリアルに感じられませんでした。 高校生くらいからは、そのことが人知れない悩みとなり、他の人たちのように物事に一生懸命取り組めない自分がおかしいのだと思うようになり、何かに一生懸命取り組もうとしましたが、ほとんど…

美味しいフルーツ

つい先日とある事件に巻き込まれた時のこと… それは言ってみれば降ってわいたような災難といったたぐいの出来事なのですが、私以外にも多くの方が関係しているので、具体的な内容は省かせていただきます。 「どうして私がこんな目にあわなければならないの?…

上善は水のごとし。

「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争はず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。」(書き下し文) これは「老子道徳教8章」の書き出しの部分です。 上質の善(本当にすばらしい行いや生き方)は、水のようです。 水は万物をうるおし利をあたえている…

とにかくリラックス

何かにフォーカスして思考に付いて行こうとする時、身体が硬くなり「私」という思い込みが始まる。 だから白隠禅師が真の私を水に喩えて個人の私(本当はいない)を氷に喩えたのは納得できる。 ゆるやかで全てにオープンであった真の私を閉ざして、自在であ…

衆生本来仏なり…

衆生本来仏なり水と氷のごとくにて水をはなれて氷なく衆生の外に仏なし衆生近きを知らずして遠く求むるはかなさよ譬へば水の中に居て渇を叫ぶがごとくなり これは、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧白隠禅師が書いた「白隠禅師坐禅和讃」の最初の部分…

吾唯足知

「吾唯足知」とは「日々是好日」と同じく禅の教えで「吾唯足るを知る」と読み、京都の龍安寺のつくばい(手水鉢ちょうずばち)にこの四文字が口と言う文字を中心に一周する形で配置されている。 吾 知 唯 足 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E5%AE%…

思い込みやジャッジを省いて目の前のものや思考を観察してみよう。

「何もないと言ったって目の前や頭の中やTVの映像に…あるじゃん。」 と思ってはいませんか? 確かに目の前に見える物、机や自分の手やその他諸々触ることができるものはあるような気がしますよね。 でも、それはずっと連続していつも存在し続けているのだ…

日々是好日

タイトルの「日々是好日」は「毎日いい日だよ」というような意味の禅の言葉です。 せんじ詰めれば「今が一番いい」「今がベスト」という意味ですが…。 禅が表現しているのも非二元や青空意識と同じで、自己の本質について表現しているのです。 自己の本質(…

いらない思考をお掃除しよう。

私たちは常に本質と共にあって本質から離れたことはないので、 すでにそうなので、 まずは単純に「すでに本質(青空)なんだ」と信じることが大事。 すでに本質(青空)だと信じて色々文句を言ってくる思考に気づき、これは本質ではないと少しずつ落としてい…

いわれない寂しさや虚しさはどこから来るのか?

私たち個人は、時にいわれない寂しさや虚しさに襲われることがある。 こんな時、私たちは誰かに会って話をしたり何かをして忙しくしてその思いを忘れようとする。 これもまた、何もない静寂(本質)を感じた時、何もない静寂など認めたくない思考が仕掛けて…

静寂だけがただある

静寂しかない 何もない 静寂だけがただある そこから全てが生まれそこへと帰っていく 命の原点 命そのもの ただある 静寂だけがただある

静寂そのもの

私たち自己の本質は何もない。 静寂そのもの。 静寂とは沈黙。 ということで、今日はこのへんで本質に帰りたいと思います。