言葉の力

何かの刺激に反応して感情が動くと、思考はすぐさま言葉を使ってそれに名前をつける。



悲しい・嬉しい・腹立たしい・感動的な等々様々な言葉を使って名前をつける。



すると不安定で形がなくただのもやもやでしかなかった感情が、形が整えられて存在を与えられる。



さらにその感情が出てきた状況を思考が言葉で説明すると、今までただのもやもやであるのかないのかわからなかったものが実に生き生きと動き始める。



言葉とは偉大なものである。



ほんのちょっとした兆候があれば、思考はそれに言葉で形を与えて存在を創り上げることができる。



思考はそのように言葉を使って日々新しい状況を創造している。



元は何もなかったのに、何もないところから言葉によって何かあるものを創造している。



全ては言葉の力によるものである。



言葉がなければ何も存在しえない。



しかしそんなに力を持った言葉の本質は何かと尋ねられたら…?



誰も答えることはできない。



「言葉の力を見せてみろ」「証明してみろ」と言われても…、



誰にもそうすることはできない。



それは種のない魔法のようなもの。



言葉の種はない。



言葉の本質もない。



何もない。



何もないものに魔法的な力がある。



これこそ錯覚というものである。



言葉は錯覚(夢)を創造するツール。



実体のない魔法のツール。



思考の大事なツール。