2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧
現れの世界の全ては思考でできているのではないかと思うくらい(たぶんそうなのだ)、朝起きてから夜眠るまで次から次へと思考は湧いてくる。 無意識だとそれが当たり前になっているのでそんなことに気付きもしないのだが、思考に対して意識的になって思考を…
私たちが現れにリアリティを感じて日常生活をおくっているのは、現れに心を奪われているからです。 現れに心を奪われて、ここがこうなったらいいのに…とか、こういう未来のためにこのように努力しようとか、あの時ああだったからこうなったのでここをこう直…
そんなことを考える気もないのに勝手に現れてくる思考を観察していて、あることに気付きました。 思考はすき間から突然現れてくるということです。 温泉に入っている時、ポコッポコッと源泉から泡が出てくるようにすき間からポコッポコッと思考は現れてくる…
「ある」(真我・全体性等々)を発見するために何をすればいいのか? 私たちが現れに依存しているというのは、私たちが何かを見つけるためには何かをしなければならないという思い込みにとらわれている点に象徴的に現れています。 答えは実は「何もしなくて…
私たちはあまりにも「現れ」に依存し過ぎています。 「現れ」は刻一刻と変化し続けているのに、無常であるのに、私たちはその無常の現れに永遠の平和や安心そして至福を求めているのです。 無常に永遠は存在しません。 誰でもわかる理屈であるにもかかわらず…
最近また面白い体験があったのでシェアしようと思います。 家族の一人からあることについてダメ出しをされました。 それに対して反応が起きる一瞬前に、何かが「A−ごめんなさいと言ってそれを受け入れる道」と「B−それはいいがかりだと言い返す道」の二通…
昨年1月に有馬温泉で1泊のお話会に浜松から来てくださった、曹洞宗の老師である、井上哲玄老師の話を久しぶりYouTubeで聞いた。 禅は私がブログに書いている非二元・青空意識・命の本質と全く同じで、自分の思考・想念・感情を交えずに直接物の本質に触れる…
私(個人)が生きているということは、「ある」(真の私・全体性)が私を見ているということなのです。 私(個人)はいつでも「ある」(真の私)に見つめられ愛されている。 私(個人)は生きている主体ではなく、「ある」(真の私)によって生かされている…
今日は大阪和サンガで前々回ブログに書いた「本当は何も起こっちゃいないのさ」の体験(「ある」のオンタイム体験)をシェアした時の伊東Dr.のコメントをまとめてみました。 =まず「分離のカーテン」があると認めること、つまり自分に起こってくる喜怒哀楽…