現れにリアリティを求めるか、何もない「ある」にリアリティを感じるか…?

私たちが現れにリアリティを感じて日常生活をおくっているのは、現れに心を奪われているからです。



現れに心を奪われて、ここがこうなったらいいのに…とか、こういう未来のためにこのように努力しようとか、あの時ああだったからこうなったのでここをこう直してがんばろう…etc



現れの世界では常に今の現れが不満足なので、今の現れを満足するようになんとかしようと思うのです。



けれど、努力してその時の現れよりもかなりよくなった現れに満足したとしても、その満足は長続きはしない。



すぐにまた新しい現れを求めて努力が始まるのです。



次から次へと新しい現れを求めるのです。



自分を含めた現れは瞬時に変化していく無常の存在なので、現れにリアリティを感じて生きると現れに振り回される人生になるのは必定なのです。



これと真逆なのが静寂しかない「ある」にリアリティを感じる生き方なのです。



このように表現すると二通りの生き方があるみたいですが、現れにリアリティを求める生き方も実のところ自己の本質である何もない「ある」を求めているのですが、そのことに気付かないため「これは違う これは違う」と次から次へと現ればかり求めることになってしまうのです。



つまるところ、どんな生き方をしようと、求めているのはただただ静寂しかない「ある」なのです。



しかも「ある」は常に私たち現れと同時に重なって存在しているので、ある意味探す努力は不要なのです。