2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

悩み・苦しみについて

悩みや苦しみというのは当然のごとく現れである。 本質的に言えば、それはただあるだけでないのだが、それはどういうことなのか? 瞬間的な思考や感情としての悩みや苦しみは当然起こってくる。 起こってくるが連続してはいない。 例えば、北朝鮮のミサイル…

「ある」と「ない」は同時に重なっている。

先日井上老師の京都禅カフェに参加したことでかなり明瞭になったことがあるので、書いてみようと思います。 非二元のティチャーなどが「私がない」とか「何もない」とか「愛しかない」等々、「ない」という言葉で説明されることが多々ある。 しかしたくさん…

井上哲玄老師のお話を聞きました。

今日京都禅カフェ(http://kyotozen.exblog.jp/27667230/)が開催されたので、井上哲玄老師(井上義衍老師のご長男で大悟された方)のお話を聞きに行ってきました。 哲玄老師は、思考の前の「ただある」状態について、 「眼に見えているもの、耳に聞こえてい…

「任せる」−「井上義衍老師語録」より

何気なく「井上義衍老師語録」を開いたところ、「任せる」というタイトルの章が目に飛び込んできた。 この章の全文通して全く違和感なくスラスラと読めたので、今日はこの文章を紹介します。 「任せる。『任せる』ということは、自分のほうから、何かをする…

真の自由とは…?

自由とはどういうことか? 人は生まれてきた時は、何もない。 赤ん坊と呼ばれ、男か女かのどちらかに分けられ、誰それと誰それの子供と言われ、名前を付けられ…。 有形無形のものがどんどん増えていって、自分が創られていく。 幼稚園・小学校・中学校・高校…

この世には命の本質しかない。

ゴールデンウイークはどこへも行く計画がなかったので、お天気のいい日を選んで友人を誘いお弁当持参で神戸の街が一望できる近く(自宅から5分程度)の公園に行きました。 高台にある公園への入り口にあたる階段を上り始めた時、「見て見てきれいな藤の花」…

幸せの方向

例えて言うならば、本質「ただある」の表面に言葉で創った現れの世界があるような感じである。 現れの世界の一員としての生活に慣れてしまった私たちは、現れの根源である本質「ただある」が常に現れと共にあることを忘れ果ててしまい、言葉で創った現れの世…

私たちの本質は「…」と表現するのが最も適切なのかもしれない。

「ただある」を別の言い方をすると、「今ここ」ということである。 常に「今ここ」で「ただある」だけなのである。 「10年前ニューヨークに住んでいた頃…」とか「明日海へ行く。」等という表現をするが、常に「今ここ」なので、本当のところ時間もなければ…