幸せの方向
例えて言うならば、本質「ただある」の表面に言葉で創った現れの世界があるような感じである。
現れの世界の一員としての生活に慣れてしまった私たちは、現れの根源である本質「ただある」が常に現れと共にあることを忘れ果ててしまい、言葉で創った現れの世界ばかりにフォーカスして、それだけを相手に生きている。
根っこの本質をないがしろにして、瞬時に変化していく表面の現れの世界にリアリティを求めて、名前をつけて比較して、AよりBのほうが優れているとか青より赤にしたほうがいいとかジャッジしてより優れた現れを求めてやまない。
よりよい現れ・より優れた現れを求めてやまないのは、幸せになりたいからである。
しかし思い通り幸せになったとしても、現れは変化していくのでしばらくすると不安定になりまた別の幸せを求めて何かをすることになる。
現れに幸せを求めるかぎり死ぬまで満足することはない。
私たちの誰もが一過性の幸せではなく永遠の幸せを求めている。
永遠に変わらない幸せは「ただある」本質にしかない。
幸せを求める方向が真逆なのである。
表面の現れではなく、根源の「ただある」へと思い切って方向を変えて幸せの探究をしよう。
根源の「ただある」幸せ感覚がわかったら、その感覚と同時に存在し、毎瞬変化していく表面の現れの素晴らしさもまたわかってくるのである。