2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

何ものも自分のものとしない。

伊東Dr.曰く「基本的に思考も気分も行為も、何ものも私のものとしないことを常に覚えておくことです。これはお釈迦さまが弟子にさせていた修練です。」 私たちは思考や気分や行為の全てを自分のものとして日常生活を送っている。 思考や気分や行為等の現れは…

心配しても自分ではどうすることもできないよ。

あれやこれや、心配事は尽きないけれど、心配しても自分ではどうすることもできない。 どうすることもできないのに心配ばかりしていると、皺もできるし身体も悪くなる。 自分でどうすることもできないのだから、抵抗せずに諦めて流れに任せたほういい。 お任…

何が起きても慌てふためくことはない。

何も考えようとは思っていないのに、どこからか次から次へと湧いてくる思考…。 本当に予告もなく突然ボコッと湧いてくる。 自分が考えようとは思っていないので、自分の考えでは決してない。 思考しているのは個人の私では決してない。 湧いてくる元がわから…

この世の全ての現れを表現しているのもそれを見ているのも全体性である(林檎が林檎を見ている)。

この世は実に様々なことが起こってる。(と錯覚している) 情報や実体験やら、私たちは様々な出来事に出会う。(と錯覚している) いいこと悪いことhappyなこと悲惨なこと…。(と錯覚している) しかししかしである。 それらこの世の全ての現れは、いっさいが…

自己の本質(平和・愛・静寂)は常に傍に存在している。

雲間に見える青空のように私たちの本質は、思考と思考(現れと現れ)の隙間にただある。 どんなに雲が多くてもその背後には必ず青空が存在するように、私たち自己の本質(全体性)は現れのすぐそばに静かにただある。 死んでしまいたいほど悩み苦しんでいた…

思考は常に現れに反応する

外を歩いていると、以前料理教室だったお店が、植物に囲まれたカフェになっていた。 オープンの準備をしているオーナーを見ながら、「料理教室のオーナーは以前病気で休まれていたことがあったので、身体の調子が悪くなってお店をやめたのだろうか?」に続い…

二極を超えて

全体性が二極を表現しているのだが、私たち個人は、「自分が二極の間で葛藤している」と錯覚して悩み苦しむ。 そしてAかBかどちらが正しくてどちらが間違っているのかと思考する。 どちらも正しくはなく、どちらも間違ってはいない。 真実は二極を超えたと…

全て「神(全体性)の思召すまま」

最近世界的に予想に反する大きな出来事が起こっている。 つい先日のアメリカ大統領選挙で予想に反してT氏が大統領に選ばれた事、そして6月に行われたイギリスのEU離脱国民投票…。 それぞれの国民は結果に反対するデモを行ったり、別の国へ移民すると言っ…

この世の全ての現れの主体は全体性である。

個人のように見えるものがブログを書いているのかもしれないけれど、私は私の全体像を見たことがないし書いているところも見たことがない。 書いている内容を前もって知っているわけではなく、ただ浮かんできた思考を言葉に置き換えているだけである。 ブロ…

この世的世界観とは真逆

非二元や悟りの道を探求する人は、どこかでこの世的な自分とおさらばすると腹をくくる必要があるのかもしれません。 何故ならば、非二元の世界観は、この世的な世界観や価値観とは全てがまるで逆なので、この世の的世界観や価値観で非二元を捉えてしまうと、…

悟りも一つ

前回「エゴは一つ」というタイトルでブログを書いたので、今日は「悟り」について書いてみようと思います。 よく「〜さんは悟っている」などということを言いますが、本当のところ悟っている人などいません。 私という個人がいないのだから、個人が悟るとい…

エゴは一つ

時空の外ではエゴはただ一つしかないが、時空の中ではたくさんのエゴが存在しているように感じられる。(伊東Dr.の言葉) 例えば夫と妻が喧嘩をしている時二つのエゴが対立していいるかのように思われるのだが、本当は一つのエゴが二つに分かれているように…

今とは…?

「空間には何も起こっていない」で本当の今とは現れ(思考)の少し前であり、そこでは何も起こっていないという伊東Dr.の言葉を紹介しましたので、自分なりに「今」について考えてみました。 本当の今は時間空間もないところなので数字で表すことはできない…

私たちの真の故郷

昨日「聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅」という映画を観ました。 現代ヨガの源流T.クリシュナマチャリアの教えを辿るドキュメンタリー映画なのですが、その映画の中で印象的だったのは、 「ヨガは単に身体を動かすことを主とするのではなく、呼吸と身体…