二極を超えて
全体性が二極を表現しているのだが、私たち個人は、「自分が二極の間で葛藤している」と錯覚して悩み苦しむ。
そしてAかBかどちらが正しくてどちらが間違っているのかと思考する。
どちらも正しくはなく、どちらも間違ってはいない。
真実は二極を超えたところにある。
二極を超えるとはどういうことか?
それは二極が調和するということである。
+と−が調和すれば0になる。
0 つまり何もないということ。
+も−もないということ。
0の何もないところこそ自己の故郷、自己の本質、真の私。
二極を超えるとは二極が調和して何もない0になること。
何もない0こそ真の愛・真の平和・真の静寂。
それこそがただ一つの真実。