この世的世界観とは真逆
非二元や悟りの道を探求する人は、どこかでこの世的な自分とおさらばすると腹をくくる必要があるのかもしれません。
何故ならば、非二元の世界観は、この世的な世界観や価値観とは全てがまるで逆なので、この世の的世界観や価値観で非二元を捉えてしまうと、どうしても個人の私が非二元を理解するとかしないとか、私が悟るとかというようにスペシャルな個人を目指してしまうことになるからです。
個人の私が存在せず全体性しかない世界に、スペシャルな個人を持ち込むことは矛盾することなのですが、これはこの道を探求しているほとんどの人が犯す間違いです。
個人の私は非二元を理解することなどできないし、個人の私が悟ることもできません。
もしもそのように感じられたとしたら、ただそのように見えて(錯覚して)いるだけで思考の罠にすぎません。
非二元も悟りもどこにも属してはおらず、ただあるだけなのです。
何もないものがただある。
人はどうしてそのようなものを探求するのか?
何故ならそれこそが、唯一私たちが求めているものであり、私たちの本質そのものだから…。
それはいつも私たちのすぐそばにあり(呼吸より近い)、永遠になくなることはない。