「本当は何も起こっちゃいないのさ」体験を大阪和サンガでシェアしました。
今日は大阪和サンガで前々回ブログに書いた「本当は何も起こっちゃいないのさ」の体験(「ある」のオンタイム体験)をシェアした時の伊東Dr.のコメントをまとめてみました。
=まず「分離のカーテン」があると認めること、つまり自分に起こってくる喜怒哀楽等の感情や思考・想念をあるがまま認めることですき間ができて気付きの風が入ってくる。
自分に起こった感情をオンタイムで認めると気付きの風が入ってきて閉まっていた窓が開く。
窓を開くことができないという気付きによって窓が開くという逆説が起きる。
仏教ではこのことを無分別(分離していない)という。
「私」(個人)から目が離せない時の意識感覚と目を離した時の意識感覚は全く違う。=
確かに「私」(個人)から目を離した時の意識感覚は自由でパワフルな生命力に満ちた体験でした。
「ある」(真の私)は命の源なので、そこから吹いてくる風はダイナミックで壁があったら通り抜け、閉まっている窓も自然と開き、遠く離れたところへも一瞬で吹いていきます。
「ある」のオンタイム体験はこの上なく素敵なのですが、それは「私」から目を離すことなので「私」が意図して体験できるものでは決してないのです。
けれど、オンタイムで自分の思考・感情・想念をあるがまま受け入れ認める実践を淡々と続けていくことが自分にとっての修行であり、目に見えないところで意識の変化が起こって行くような気がしています。