何もないのだろう。
日々様々なことが起こるのでそれなりに反応するのだけれど、思考に引きずられるということが少なくなった。
それでもだわって頑張っていることなんかの場合は、ちょこっと引きずられたりする。
そんな時は、まず引きずられていることに気づいて、じっとその思いを観察することにしている。
言葉や行動に表す前に、それはどんなものなのか、その思いの実体を観察することにしている。
しばらく観察していると全く何もない(100%ない)ことがわかる。
ただ一時的に湧き上がってきた思いであって、何の根拠もないことがわかる。
それがわかるとものの見事にその思いは自然に消えていく。
「私」が消したわけではない。
最初からなかったと気づいただけ…。
気づいたのは「私」ではない。
「私」という言葉を使うなら「真の私」
気づいているので「気づきの意識」
けれど、それもどこにも見当たらない。
思考は賑やかだけれど、それは静かである。
賑やかな思考も静かなそれも分離はなく一体なので、
思考がある時は思考に気づく存在であり、思考がない時は何もない。
究極、何もないのだろう。