因果はあるのか?

例えば失恋したのでやけ食いをしているという場合。



失恋したこととやけ食いは原因と結果なのであろうか?



やけ食いしているのが今とすると、失恋したというのは過去のことでありもうないことである。



はやけ食いしていることが起こっているだけである。



さらに言えば、やけ食いというのも言葉でそう表現した時にはすでに過去になっていてもうない。



原因と結果のように思考では思っているかもしれないけれど、あるのはただ今起こっていることだけ。



そして今起こっていることもすぐになくなってしまう。



だから今起こっていることも、そのことの原因だと思っていることも思考の中にしかなく、真実は何もないのだから因果はない。



全ては思考が作っているまぼろしである。



もうない過去の失恋を思い出してやけ食いするという反応は、実は過去の失恋という思考が作用してやけ食いするという反作用が起きているに過ぎない。



私が失恋したのでやけ食いしているのではない。



また失恋という思いにしても、自分の思いを打ち明けて断わられたことを失恋と言っているなら、それは言葉でそう表現しただけであり、実際は断わられたということがあったに過ぎない。



断わられて落ち込んだとしても、落ち込んだ時にはもう断わられたことはないのである。



全ては思考の作り話にすぎず、夢まぼろしなのである。



だから因果はなく全てはただ起きているだけである。



仏教ではこのことを縁起というらしい。