私とは…?
感覚は私ではない。
目は直接物を見、耳は直接音を聞く。
けれど、私たちは「私の目」「私の耳」と思い、「私が見る」「私が聞く」と言う。
目や耳は誰のものでもなく、それを所有する人はいない。
目や耳はただの機械にすぎない。
目は映画のスクリーンのように直接映像を映している。
耳はイヤホンで音を聞くように直接音を聞いている。
目と見られる物そして耳と聞かれる音との間に距離はない。
私の5メートル前にビルが建っているとか遠くを走る電車の音が聞こえる、というのは実は錯覚である。
目と見られる物、耳と聞かれる音とは距離がないので一体である。
見る時は見られる物しかなく、聞く時は聞かれる音しかない。
見たり聞いたりしている私はいない。
私が何かを知りたければ、その時見ている物が私であり聞いている音が私である。
私と対象は決して分離しておらず一体である。
その時そこにあって感覚がとらえているものは全て一体である。
それこそが私なのである。