衆生本来仏なり…
衆生本来仏なり
水と氷のごとくにて
水をはなれて氷なく
衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして
遠く求むるはかなさよ
譬へば水の中に居て
渇を叫ぶがごとくなり
これは、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧白隠禅師が書いた「白隠禅師坐禅和讃」の最初の部分である。
生きとし生けるものは全て本来仏(悟った存在・真の私・本質・全体性)である。
それはまるで水と氷の関係のようであって
水からできていない氷が存在しないように
生きとし生けるもの以外に仏は存在しない
それなのに私たち人間は自分が仏であることを知らないで
遠くに仏を求めてばかりいるのはなんともはかないことよ
それは例えば水の中にいて喉が渇いたと叫んでいるようなものだ
というような意味であろうか?
どんなにどたばたあがいても、人間も含めて全ての生きとし生けるものの本質は仏(真の私・全体性・大いなる者・悟った存在…)なのである。
私たちは仏だと信じることができたら何かが変わるかもしれませんね。