上善は水のごとし。

「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争はず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る。」(書き下し文)



これは「老子道徳教8章」の書き出しの部分です。



上質の善(本当にすばらしい行いや生き方)は、水のようです。
水は万物をうるおし利をあたえているけれど、
だからといって自分を主張することはなく、対象に合わせて形を変えるので対立せず争うことはない。
また皆がいやがるめだつことのない低い所(下)に身をおいている。



というような意味かと思います。



非二元(青空意識・自己の本質)的な生き方をこの二元の世界で実践すると、こういう感じになるのではないかと思います。




紀元前に生まれた老子がすでに自己の本質(真の私)を水に喩えていたのです。



白隠禅師は当然この言葉を知っていたはずなので、水と氷の喩えは老子のこの言葉からヒントを得たのかもしれませんね。
(というふうに思考は知らないことを証拠もないのに、勝手に想像(創造)するのです。)(^_-)-☆



上善をよしとする生き方は、相手と調和して生きる「和をもって尊しとす」(聖徳太子)という生き方と本質的に同じだと思われます。



どちらも「私」を主張することなく、流れに任せて相手と争うことなく調和して生きることをよしとしている。



東洋の知恵というか、エネルギーというか、その精神は禅や和歌・茶道・能等の日本文化にも引き継がれています。



表現されたものは真の私が見る夢ではあるけれど、生命の本質そのものが比喩的に表現された夢だと言えるのではないでしょうか…。