それはいったい何なのか?

じっとしていても動き回っていても思考は湧いてくる。



もちろん瞑想していても思考は湧いてくる。



眠っている時は夢として思考は湧いてくる。



はて…?



いったいどこから思考はやって来るのか?



思考の源を観察しようとしても、全くわからない。



源がなくて思考という結果しかない。



そこで「私」を設定すると、全ての思考がそこから生まれてきたと説明がつく。



「私」なる者は、身体と心から成り立っており、思考は主に脳から生まれ感情は心から生まれると説明がつく。



しかし、「私」なる者は自分の脳も心も見たことはない。



「私」にとって自分の脳も心も想像上の産物でしかない。



さらに「私」なる者は自分の顔さえ直接みたことがない。



鏡で見ればわかると言われるかもしれないが、鏡で見る自分の顔は、自分が存在すると思われる側にはない。



自分が存在すると思われる側をこちら側とするなら、あちら側に自分と思しき顔を見ることになる。



その顔や見える部分の自分の身体(これも見ている側からすればあちら側になる)と自分から見える他人の様子を見て、「私」とはこういう顔形や身体だと想像して、それが「私」だと思い込んでいるに過ぎない。



「私」とはこちら側にいるはずなのに「私」の断片はあちら側にしか存在しない。



こちら側は、自分では見ることはできないけれど、確かに何かが存在している。



それを「私」だと思い込んでいるのだが、果たしてそうなのか?



見ることができないけれど、こちら側にいてあちら側にある全てを見ている…それはいったい何なのか?