ある夜気づいたこと
ある夜トイレで用を足していた時、ふと「あれっ…これって自分がコントロールしてやってることなの?」と言う思いが湧いてきた。
そこから心臓とか呼吸とか身体の機能の全ては、ことごとく自分がコントロールしているのではないということに気づいた。
それら全ては自然に起きている現象であるということに気づいたと同時に次から次へと湧いてくる思考・感情・想念・イメージの全ても自分がコントロールしているのではないということにも気づいた。
「いやそうではない。自分が考えているのだ」という反論があるかもしれないが、思考その他を自分がコントロールしているなら、「もっと…だったら」「私ってなんて不幸なんだろう」等という悩みや苦しみはコントロールできることになり、苦しみなど存在しなくなるはずだ。
人間が人生に悩み苦しむということは、私に関係する全てのことをコントロールしたいのにできないからそれが悩みや苦しみの種になるのだろう。
心身をコントロールしている自分がいないなら、いったいそのことに気づいたのは誰?
自分がコントロールしていないのだから、それは自分(私)ではない。
それはさわることも見ることもできない。
しかし、ある。
それを「気づき」と呼んだり「純粋意識」といったり、英語で「I am」とか「Being]とか言うのだろう。
また「ただある」とか「あるがまま」とか言うのだろう。
私が考えるのではなく、ただ考えるということがあり、私の歯が痛いのではなく、ただ歯が痛いということがある。
個の私はいない。
ただ人間の形をした生命がある。
犬や猫という動物の形をした生命がある。
森羅万象全て同じ、車も家も机も全て同じ
同じ一つの生命がある。
生命という静寂がある。
それが私の真の正体。
それが私の本質。