分離がないとは…?ハートに響いたラマナ・マハルシの言葉 その5

最近TVのドラマで思わず殺人を犯してしまうシーンを見た瞬間、殺人犯が殺人に至る感情の動きが手に取るようにわかり、「これは私だ」と気づいたことがありました。



もちろん、私は殺人を犯した記憶はないのですが、殺人でなくても刺激に対する瞬間の反応は、誰にでも起こり得る、いや対象を変えて誰にでも起こっている反応であり、たまたまそれが殺人だったというだけのことなのです。



その気づきがあって以後の実生活の中で、様々の刺激に対する自分の反応と他人の反応が区別なく「私」の反応として感じられる瞬間が訪れるようになりました。



そして気づいたのです。



自分と他人の分離はないのだと…。



自分も他人も「私」なのだと…。



そしてラマナ・マハルシの次の言葉に出会って、さらにその確信を得ました。



ー この宇宙は何の中に存在するのだろうか。このすべては何なのだろうか。

それは何から生じたのだろうか。何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。

それは何で構成されているのだろうか。

ただ真我だけがその原因である。 −



− 真理の内に内在するものは真我のみである。

世界や個人の魂、そして神は、真我の内に現れる。

これら三つは、同時に現れ同時に消えてゆく。 −



以上「静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに」より