私たちは全てワンシーンの夢の中の登場人物にすぎない。
しばらく台湾へ行っていたので、ブログを書くのは10日ぶりです。
非日常の旅に出たせいか、台湾の茶藝店でお茶を飲んでいる時はお茶を飲んでいる「今ここ」しかなくて、そこを出て漢方のお店に行くと茶藝店でお茶を飲んだことは思考の中にしかなくなり、日本も台湾もなくその時のそのシーンしかなくて、日本から台湾へ行ってまた日本へ戻ってきたというのも思考が創ったストーリーでしかないということがとてもよくわかりました。
その時々に創られた映画のセットの中を自分だと思い込んでいる者が行き来し、自分を演じているような自分のような者が登場する夢を見ているような…
というかこれは何かが見ている夢なのです。
台湾であれ日本であれ全て夢なのですが、非日常的な旅をするとそれが夢であることがとてもわかりやすくなります。
買い物をしたり美味しいものをたくさん食べたりありえないほど親切な人に出会ったり、日常生活からすると夢のような出来事ばかりを体験するせいで、旅は日常より夢のように感じられるのでしょうね。
でも旅だけが夢ではなく日常生活もまた同じく何かが見ている夢なのです。
私もあなたもなく、「今ここ」にある全てが一体のワンシーン…。
私たちは全てそんな夢の中の登場人物にすぎないのです。