吾唯足るを知る
4月になっても肌寒い日が続いていますが、桜は順調に花開いているようです。
毎年この季節になると桜は花開き、柔らかな春の息吹(生命の輝き)を感じさせてくれ、心がほっこりと和みます。
こんな時、今ここに生きているというシンプルな幸せを感じることができます。
「吾唯足るを知る=ただ幸せでいる」とは、きっとこのような気持ちなのでしょうね。
今日は、3月の接心会で聞いた、幸せの本質についてのお話を紹介したいと思います。
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簡単に言うと、禅で言う「吾唯足るを知る」で充分なのだということです。
それ以外の説教や難しいお話は、いらない。
現代語で言い直して「ただ幸せでいてごらん」と言っている。
それが感じられるようになれば、それで充分である。
何か難しい悟りとか覚醒という言葉にとらわれてヒマラヤの頂上のような高い境地ばかり目指して、今ここにある幸せを忘れてしまうと、逆に苦しくなっていく。
だから、そのような変に高い(?)境地はうっちゃっておいて、ただ足る(幸せ)を味わう自分でいることが大事。
現象界の様々な苦しみにとらわれることなく、シンプルに「充分なんだ」という気持ちを味わえる自分でいるということで充分で、それ以上何もいらない。
シンプルな今ここにある足りている感じを感じればそれで充分である。
現象界で生きていると人それぞれに様々な問題(お金、健康、人間関係)を抱えている。
それはそれで生きている限り対処していかなければならない問題である。
しかし、それはそれとして「ただ足りている、ただしわせなんだなあ」ということを感じられるゆとりみたいなものがいつでもあれば、私達はもっとシンプルに、もっとゆとりをもって人生を楽しんで生きていくことができるのではないか?
マインド(脳)は、物事を複雑でやっかいにし、それを解決していくのが好き。
ゲーム感覚でその複雑さを遊ぶのはokだが、その複雑さの中にのめり込むと、それこそが現実で眉間にしわ寄せて苦しむことになる。
どんな状況の中でもシンプルに足りている感じ、さえ忘れなければそれで充分である。
しかし、なかなかそれができない。
何故ならば、すでにそれ(足りている=幸せ)があるのだと信じられないから。
こういう時は、ただただ信じるのがよい。(信じる者は幸せである)
素直に信じて実践できる人は幸せを感じることができる。
反対に複雑さが好きで、思考だらけの人はそういう話をしてもなかなか信じず、理屈がどんどん並んでいく。
現代社会は非常に左脳的になってしまっているので、理屈に引導を渡してあげなければ、幸せを感じることはできない。
シンプルに幸せをかんじられない人には、理屈で理屈に引導を渡してあげるというようなこともやっている。
だから、ほんの瞬間でも幸せを感じ、足りていることを感じられれば、それを少しずつ続けていくことで、どんどんエネルギー領域が広がり、青空領域が広がる。
そしていつでも青空感覚を感じることができるという安心感をもつことができる。
そうすれば、ゆとりが増え、現象界のあらゆる問題にゆとりをもって対処できるようになる。
現象界もうまくいき、潜象界も満足する。
そのほうがお得なので、今この瞬間に幸せを感じることが大事。
どんな問題があろうとも、それを解決してからとか後でやろうとか考えずに、今ここで幸せを感じることが大事。
意志を持って素直に幸せを感じることが大事。
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ということで、幸せを感じるのは、ハートにゆとりをもつということなんですね。
物だらけで空間の少ない家に住んでいると落ち着かないように、過去や未来の今ここではない思考だらけでゆとり(青空、空間)のない心でいると、落ち着かず苦しみが増えるだけです。
誰もが求めているのは、ただ足りている永遠の幸せ。
それは実は、すでにもう今ここにあるのです。
それを感じることができればそれでokと伊東ドクターは言っておられるのです。
こういう私も理屈好き(笑)でしたので、伊東ドクターに理屈で引導を渡してもらいました。