意識とは?ー和サンガより

 3月20日(土)から22日(月)にかけて、姫路の書写山にある円教寺会館で、クンダリーニヨガの先生の指導で「断食(野口式断食法)瞑想」に取り組んできました。

 事前の1週間の食生活がいいかげんだったせいか、二日目頭痛に悩まされましたが、最終日の宿便とりにも成功し、現在菜食(主食は蕎麦かうどん)を続けています。

 明日から果物も食べられるようになり、27日には普通食OKになります。

 途中しんどいこと(二日半は水とお茶だけ)もありましたが、現在は体調も良好でお肌もつるつるになっていますので、機会があればまた取り組みたいと思っています。

 さて今日の話題ですが、3月の「和サンガの会」の時に、ある方が伊東ドクターに「意識とは何か」ということを質問されましたので、その質問に対する答えをまとめてみたいと思います。

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例えば目に見える現象界にペットボトルや時計といった物があるとする。

物の周りには何があるかというと、空間が存在し、物を認識するには、空間的存在があることが前提条件である。

これを目に見えない潜象界に対応させてみると、物は、言葉・名(思考・気分・感情)=雲に相当し、空間は意識=青空に相当する。

私達は人間存在はほとんど心(思考・気分・感情)だと思って生きている。

つまり心と同一化して生きているが、これは誤解。

この誤解を解くことが大事。

心が私ではなく、意識が私であると気づくことが大事。

人間はわからないことを探求し説明するためにありとあらゆる言葉を生み出しすぎている。

混乱した世界を整理整頓するために青空と雲というたった二つの言葉で説明している。

これは雲でこれは青空と区分けしていくことによって、心が静かになっていく。

瞑想で説明すると、瞑想がうまくいったと思うのも、うまくいかなかったと思うのも両方とも雲。

そのようにジャッジせず、静かに見ている視線こそ青空。

瞑想は自己の本質に至るための手段(乗り物)なので、うまく瞑想できるとかできないというジャッジは雲であり瞑想にとらわれていることになる。

瞑想にとらわれしまうと本末転倒である。

和サンガの源泉―心の方からやってくるものではなく、何のジャッジもなく静かに見ている意識があることに気づいていくこと。

日頃からいらない思考を減らしていくことによって、何のジャッジもなく静かに見ている視線に気づいていくと、青空の方からエネルギーが流れてくる。

和サンガには、少しでもこの感覚を得ている者が集まることが必要である。


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 毎晩9時に合同瞑想和サンガ(グループヒーリング)を実践していますが、和サンガに参加される方は瞑想はあくまで自己の本質に気づくための乗り物(手段)だと心得て、瞑想のでき不出来にとらわれて本末転倒することのないようになさってくださいね。