So much fun(ソーマッチファン)


 いよいよ明日で伊東ドクターの神戸講座も終わりです。

1ヶ月遅れではありますが、先月11月の神戸講座の報告をしたいと思います。

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究極的に言うと、健康と病気はどちらも恐れることはない。

因果の法則に囚われることはない。

自分に与えられている健康を全うしていく最大のコツは、私はこの肉体でもないし、肉体に宿っている心でもないと知ること。

「私」という言葉―私の肉体・私の心を指している。

そこに完全に自己同化して生きている限りは、人生を謳歌しにくい。

人生のどこかで因果の中に縛られているものを越えたものが、真の自分だと気づく。

一生懸命のたうちまわっている人ほど気づく。

前回の池見酉次郎先生の話の中で、癌の奇跡的治癒をした人の共通性は、実存的転換を果たした人であった。

実存的転換とは、全員が「私」は肉体でも心でもないという感覚に気づいた。

気づきと共に最大限のギフトが訪れた。

往々にして極限状況にまで行ってしまう人にそういう感覚が訪れる。

例えば、死刑囚はいつ死刑が行われるのかという不安と恐怖にのたうちまわる。

そうしているうちに次第に死への不安と恐怖が落ちていき、死刑執行時には、聖者のごとき眼差しに至ることがある。

私達の運命がそこまで(極限)まで行かなくても、そのことに気づいていく可能性があることをお伝えするためにこのような集いがある。

健康にこだわる人ほど病気になる。

幸せになりたい人ほど不幸になる。

恐れているほうが現実化しやすい。

癌になる方法は考えずに、「癌は嫌だ」・「病気は嫌だ」と考える。

しかし、幸せや健康を目指す場合は、どうしたら「幸せ」・「健康」になれるか、その方法論を考える。

方法論ばかり考えて結果は考えていない。→方法論ばかりが現実化する。

ところが、病気や不幸は方法論は考えずに結果ばかり考える。→結果が現実化する。

意識が現実化する。

意識がすべて。

病気を治すコツは、方法論に意識を向けずに健康(結果)の方に意識を投げかけておく。

1割主義。

1割でいいから「そうかもしれないな」というスペースを空ける。

1割のスペースが空いていると、それに見合った出会い(本や人etc)があり、スペースがさらに空いていき人生が望む方へ変わっていく。

3才頃自我意識が形成される。

自分が何を考えているか無努力で見る(気づく)ことができる。

見たり気づいたりできる大前提は見る主体と見られている側の対象があるということ。

この前提がないと自分が何を考えているか気づく(見る)ということはおこらない。

それは何を意味しているか。

肉体・心は見られる対象物で、見ている側が私達の本質(意識)だということを意味している。

肉体や心が私だと思うことは、見られている側の対象に意識が貼り付いている状態。

肉体・物質―諸行無常

心は肉体の裏面なので心も諸行無常

不動心とは心ではなく、肉体と心を見続けている意識。

そう簡単にはこの境地は得られないが、ヒマラヤの頂上まで登る修行僧のようなイメージではなく、自転車を乗りこなすイメージ。

補助輪は必要だが、あきらめない限り誰にでもできる。

次第に現実が映像のようになるが、どうでもよくはならない。

もっと色鮮やかになる。

病気・健康・幸・不幸はどちらでもよくなる。

すべてよしになる。

最も重要なのは、「乗ってみよう」という意識。

青空と雲の例えによる雲減らし実践。

ふりでいいから私は青空だと思う。

ユーチューブで映画「マスク」を製作したジムキャリーの紹介を見てください。

ジムキャリーは、お母さんが病気でいつも不幸な顔をしていたので、お母さんを励ましたいと考えていたが、覚めて見ている自分もいたので、葛藤していた。

これはいったい何だと考えたジムキャリーは、お釈迦様の本を読んで自分が求めていたことは、これだと気づいた。

肉体と心から離れて楽しむ方法を見つけた。

ウィルスミスもそのような勉強をしているが、彼はジムキャリーとは対極的。

ウィルスミスは入道雲的生き方。

ウィルスミスはあるインタビューで、「自分は思ったことすべてが実現できるというシンボルになりたい」と言っている。

ジムキャリーは、それに対して「すごいね、でも僕は全部だよ」と言う。

ジムキャリーは青空的生き方。

二極に囚われて、恐れや不安に捕まれば捕まるほど健康を楽しむことができなくなる。

「ああ、そうかもな」と思って自転車を乗りこなすことをやってみる。

人間であるかぎり全員必ずできる。

最初のうちは忘れずに丁寧に丁寧に育てていく。

So much fun(ソーマッチファン)の実践編

1、なるべく考えない、ジャッジしない。=ノーマインド、ノージャッジ

  瞬間的にジャッジして、それにふさわしい思考がやってくる。
 
  ほとんどの思考は、昔のことや未来のこと。

  思考は「今ここ」に属していない。
  
  気づきが先にくる→金魚の糞のような思考をカットする

  例 呼吸を見る→思考を減らす

  言葉のサイン「以上終わり」・「今ここ」・「雲」etc

  楽しみながら実践。

  友達同士で報告しあうー続けるコツ

2、短くていいから瞑想する。(シンプルにただリラックス)

  リアリティは、不連続(点滅)。

  現実には連続しているように見えるので、意図的に不連続(点滅)にする。=連続性  を断つ。

  うまくいく、いかないと考える必要はない。

  いつでも「So much fun」

3、 情報化社会に生きているので情報はいいものだと考えている。
 
  しかし情報と秩序は真逆。

  情報を得るのは簡単だが、情報を捨て去るのにものすごいエネルギーがかかる。
 
  なるべく情報からはなれている。

  わざわざ情報を得なくても、必要な情報はあっちからやってくる。

  情報は捨て去るほうがよい。

   俳句・短歌は情報を削ぎ落とした美。
 
   情報を優先して生きることをやめる。

   エネルギーを優先して生きる。

   情報優先主義からエネルギー優先主義へ。

   自然なるものが最も効率がいい。

   自然は、最小のエネルギーで最大の効率を上げる。

   私達は多く人間関係で生きている。

   相手の言葉(情報)を優先してコミュニケーションをとっているが、コミュニケーション がうまくいかなくなるのは、言葉(情報)に囚われているから。

   言葉は馬耳東風と聞き流し、伝わってくるエネルギーを感じる。

   頭よりハートを優先する。

   「怒り」をハートで聞いていると、「怒っているんだ」で終わる。

   もっと進むと怒りが愛おしくなる。

   何より素直さ、正直さが大事。

   ハートを閉じていることが問題。

   閉じているとフリーズする。

   怒り(喜怒哀楽)を閉ざして(囚われたまま)フリーズする。

   開いていると、ああ「怒っているんだ」と感じる。

   開いていると、そのまま喜怒哀楽を感じる。

  開いている生き方を実践する。

  ハートは青空。

  頭で考えると閉ざして雲になる。

  ハートは傷つくことはない。

  雲は傷つく。

  開けばハートは傷つかないとわかる。

  コミュニケーションはエネルギーを感じる場。

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 さて明日はどんな話になるのか、すごく楽しみです。

 私も情報を捨て去ってエネルギーを感じてみました。

 そしてできた一遍の詩 

ひかり

からだから
ことばがあふれでる
うまれでる
よかんがして
かぜがふいている
そらからひかりがふってくる
おおきないちょうのきのえだやはっぱのあいだから
きらきらふってくるよ
ひかり

ではまた。