内なる錬金術ー限界を見る

 昨日のことですが、朝改札口を出る時ぼーっとしていたのか定期を取り忘れ、女子高生に「あのーこれ取り忘れです」と声をかけられた。

 仕事を終えて電車に乗っている時、降りる駅(神戸市営地下鉄新神戸駅)の直前の駅から意識がなくなり(眠っていたのか、瞑想状態に入っていたのか自分でも未だにわからない)、気がつくと電車は新神戸を過ぎて、北神急行の路線に入り真っ暗なトンネルの中ひたすら谷上に向かって走っていた。

 谷上から引き返し新神戸で降りてバスに乗ろうとしたところ、超満員のバスだったので次のバスにしようかとも考えたが、なんとなく流れで乗ってしまった。

 バスの中で若い男性が体調を崩して倒れたため、救急車を呼ぶということになって、結局次のバスに乗ることになった。

 乗り物に関して妙にチグハグな面白い一日だったなあと今は思うけれど、昨日は一瞬「三隣亡」などいう言葉が浮かび、「私ってついてないわ」と落ち込むところであった。

しかし、定期は返ってきたし、バスの中で倒れた人も少しずつ元気になっていたし、多少遅くなっただけで家には帰れたし、いつもと何も変わってはいない。

 「私ってついてないわ」と落ち込みたくなる気持ちは、きっとそういう場合陥りがちな集合無意識を拾ってそんな気分になっていただけで、我ではない。

 大したことがあったわけではないのに、何かあったかのように錯覚しているだけだ。

 人間て毎日毎日錯覚ばかりしているのだなあとつくづく感じた。

 本当は何もないのにね。

 さて接心会とサンガの会のご案内。

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1) 接心会
日時: 2月27日(日) 9:30〜12:30 (3時間)
場所: AP梅田大阪 Eルーム  大阪市北区曽根崎新地2丁目3−21  TEL 06−6346−3001
会費: 12,000円 (会費 10,000円、実費経費 2,000円  当日受付にてお支払い下さい)
定員: 最大10名 (先着順となります)

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2) サンガの会 
      
「サンガの会」とは伊東充隆Dr.の「青空禅フォーラム、」「健康と病気を超えて」 あるいは【ガン患者の会・ASUKA】の「和サンガ」、もしくはそれらの録音CDを聴かれた方で、興味のある方、自己の本質を求めて日々の雲減らし、青空意識の実践をし始めている方達の集まりです。日頃の本質を求める色々な実践の照らし合わせの場として定期的に開催。

※休日しか参加できない希望者はよろしければ、前もってメッセージでお知らせ下さい。

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  ◆ 2月24日(木)  13:30〜16:30

    京都四条烏丸 プレマヴィレッジ京都2階 会費:1,000円
    京都市下京区室町通高辻上る山王町569(京都私学会館向かい)
        ◎阪急烏丸駅26番出口より徒歩6分 
        ◎地下鉄四条駅6番出口より徒歩5分
    http://www.binchoutan.com/kaerukumi/images/map/map.pdf

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いずれもお問合わせ、お申し込みは
グループ・くりあ 山口加代子まで   E-mail: kayo@io.ocn.ne.jp

続いて前回の続きの始まり 始まり〜

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すべてある意味方便。

方便とは情報。

情報に意識がいくと、本質に気づかない。

15〜6才の時、ラマナ・マハリシは死への恐怖に取りつかれ覚醒に至る。

学校をやめて自分の想像の中で作り上げた山が本当にあると知り、聖なる山であるアル・ナーチャラに向かい、その後50年間ただ沈黙を守り座っていた。

人々がやってきて一緒に座り、ラマナ・マハリシの目を見ただけで覚醒した。

沈黙による伝達こそが最高。

ラマナ・マハリシが言ったことは、沈黙へ誘うための方便。

すべて決まっていようが、決まっていまいがどちらでもよい。

すべて決まっているとかいないとかが、本当に知りたいことではない。

「すべて決まっていようが、決まっていまいがどちらでもよい。」ということを知ることによって何かが変わる。

51%でひっくり返るというのも方便。

51%でも12%でもどちらでもよい。

方便として伝えている心理と思わしき情報によって、縛られていた自分の意識が救われ何かが変わることが入口。

情報とエネルギーの違いを感じることが大事。

何の法則もないし、真理もない。

真理=沈黙

沈黙と静寂は違う。

沈黙から生まれて沈黙へ去る。

情報に囚われていると、思考や感情が出てくる。

世界はどうしようもなく有限。

有限から外れていく方向こそが、我にとどまること。

今までのスピリチャリティー有限の中の愛・自由=錯覚の中の愛・自由

一回は精神世界ワールドを破壊する必要がある。

破壊して真の意味の青空意識(覚醒)に至るには、精神修養によって至るのではなく、有限世界の錯覚が解けることによって真の世界が見え覚醒に至る。

ラマナ・キリスト・ブッダはわからないということに入っていた(落ち着いている)人。
真我(覚醒)とは、考えることでも感じることでもないので敢えて沈黙と言った。

永遠に神・愛・自由を見ることはない。

わからないところに入った人は、ジャッジできない。

あるがまま=ノーマインド・ノージャッジメント

自分の限界を知る瞬間、人はギュっと狭くなる

限界をただ明らかに見る=限界にとどまる=限界を認める⇒もっと広がっていける

極限状況にならなくても覚醒する=死ぬ前に死ぬ

現実=夢(あらゆるものからの干渉波があるので固定化されている)

眠っている=覚醒

わからないに落ち着くと、えも言われぬ平安。

これを語っているのが伊東充隆というパーソナリティだと思って目で見て耳で聞いて確認しているので抵抗感が出てくる。

真実は伊東充隆が語っているのではなく、誰でもないものが語っている。

実は何もない。

情報ではなくエネルギーを見る。

情報ではなくエネルギーが真実。

エネルギーが重たくなるのは、無意識になっていて私のものでない集合無意識を拾っている。

そういう時は、逃げずにその重たさを見る。

限界を見る。

意識すると軽くなる。

意識的になって誰のものか静かに見ることによってぬけていく。

このようなことを何度も体験することによって内なる強さを養っていく。

これこそ内なる錬金術である。

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 先日さる集まりに参加した時のことです。

 その集まり自体は面白く有意義だったのですが、家に帰ると胸の中心が重くて不安の塊に犯されているような気がしたので、さっそく「この不安は誰のものか?」と問い続けました。

 そうしているうちにその不安が融けていって何もない平安が戻ってきました。

 きっとたくさんの人が感じている不安の集合無意識を拾ってきたんですね。

 ということで、伊東DR・じゃなくて誰でもない人が語っている真我の教えは、すぐに実践でき毎日平和にすごせて楽ちんです。

 何もなくて楽ちんというのがいいですね。

 実は明後日(10日)から沖縄へ出かけ、11日〜13日の瞑想合宿に参加予定です。

 なにはともあれ、4泊5日の沖縄をめいっぱい楽しんできますね。