真我体験

最近夜中に寝ぼけ眼でトイレに行って、便器に腰をかけたとたん何かの狭間に落ち込んだみたいな感じで真我体験をしました。


それは以前経験したようなすごく幸せな感覚はなく、これなら前から知っていたわみたいな淡々とした感じでした。
静寂で何もなくただあるだけで、宇宙の中心みたいで、宇宙そのもので、無限で、生まれも死にもせず…と いう比喩がぴたりとあてはまる感じでしたが、見たのか感じたのか何がおきたのかも定かではないのですが、それが真我でなければ何が真我やねん。としか思えないので確かに真我だと思います。

瞑想している時の何もない一瞬の静寂がしばらく続くといった感じなので、きっと誰にでも感じられると思いました。

もし真我を感じたいのに感じられないと思っている人がいたら、そう思いこんでいるだけで、本当は感じているのに気づいていないだけだと思います。
かのラマナ・マハルシも「今、気づきとして在りなさい。それが真我です」(訳)と言われています。

扉を開くか否かの違いのような気がします。

1時間くらいはそういう感じでしたが、朝になったら普通の日常に戻っていま した。

その後も全く何も変わらず普通の生活なのですが、よく観察してみると変わったところもあります。

真我が何かわかったので、思考がやかましい時や不安な気持ちになった時、ベクトルを逆にして真我に向かえば、以前よりたやすくゼロに戻れるようになりました。

でも実践は多くなりました。というか無意識が少なくなりました。

何もない空間への信頼と安心感が生まれました。

それでこれからは100%お任せする楽な人生を送ろうと思うようになりました。

お任せして委ねきる、これが一番いい生き方だと思えてきました。