すでに気づいている

昨年4月から今年3月まで一ヶ月に一度「大阪和サンガ1年コース2期」に参加して、伊東Dr.から自己の本質について学んでいました。

昨年の終わり頃伊東Dr.の口から「気づいていることに気づいてください」という言葉が度々出るようになりました。

それまでは、「自分の思考・感情・想念に気づく実践をしてください。」と言われていて、そのことに関してはかなり実践していたつもりでしたが、「気づいていることに気づく」にという言葉を最初に聞いた時は、わかるようなわからないような「???」という状態がしばらく続きました。

今から思い起こせば、確かに気づいてはいるけれど、気づいているのは「私」だと思っていたんです。

だから「気づいていることに気づく」ということも私が「気づいていることに気づく」のだと頭で考えて、途中まではイメージでわかるような気がするのですが、肝心なことがどうしても掴めない…という状態が続いていたある日のことでした。

近所の公園を散歩している時、普通に大学を出て就職・結婚・出産・子育て・病気・退職・第二の人生…と周りから見たら病気以外は順調にいっているように見えるだろうけれど、私は何度か「本当の自分を生きていない」という思いにとらわれたなあ…。私がそうなんだからきっと幸せそうに見える他の人たちもみんな私と同じような思いを抱いて生きているんだろうな…というような思考がわいてきたのです。

その思考に気づいたとほとんど同時に、これって「自分(私)がない」ということに気づいているということじゃないの?という気づきがあったのです。

現象としての私を生きているにもかかわらず、私を生きていないと感じているということは、何かが現象としての私は私ではないとすでに気づいているのです。

なんだ、とっくに「私はない」と気づいていたんだ。

こうして私ではない何か(伊東Dr.は気づきと言われています)が、「気づいていることに気づく」のです。

私たちは全員もれなく「私はない」・「私とは思考が作り上げた幻想」だと気づいています。

ただ次から次へと空に雲が湧くように思考が湧いてきて目の前に現象が現れるので、何かがせっかく「私はない」と気づいたにもかかわらず、現象は私ではないと気づくやいなやまたすぐ私が登場してきて現象としての私を求めて今とは違う現象を作り出そうとします。

私が新たな私を求めて努力を始めます。

けれど、「私」なんていないのですから何百回何千回がんばって「私」を生きようとしても、残念ながら本当の私なんて見つかりようもありません。

要は、ただただシンプルに「私はない」ということに気づけばいいのです。

というか全員すでに気づいているのですから「気づいていることに気づく」ことが肝心というわけなのです。