もやもやに言葉を与える
最近ちょっと面白い体験をした。
私は大雑把な性格なので家事などはいつも適当にパッパッとやってしまうせいか、しょっちゅう夫に文句を言われる。
しょっちゅう言われるので慣れているはずなのだが、毎回むかついてついつい言い返してしまう。
ところが、ある日ゴミの捨て方で「常識がない」とかなんとかネチネチとまるで姑のごとき説教が始まった。
当然ながら実に嫌〜な、不快な気分になった。
いつもならすぐに「そんなこと言うけど自分だって…」とやり返すのだが、その時は何故か夫の言葉に反応して沸き起こってきた不快な気分に気づいた。
そこにはなんだかもやもやっとした不快な気分だけしかないと気づいた。
その雲のような霞のようなもやもやっとした不快な気分を言葉にして形を与えて夫に言い返していたのだと気づいた。
そして「気づきと共にとどまる」という伊東Dr.の言葉を思い出し、そのもやもやをしばらく感じていた。
そうしているうちにもやもやはいつの間にか消えていた。
もやもやは、夫の言葉という刺激に反応して何もないところからもやっと現れてきたにすぎない。
現われてきてももやもやのままで何の形もない。
それなのに私は今まで何の形もないものに、言葉で形を与えてあたかもそれがあるかのように錯覚していた。
もやもやしかないのに、夫は細かくてぐちぐちうるさい嫌なやつだと言葉で作って錯覚していた。
全ての嫌なこともいいことも人間がもやもやに言葉を与えて形あるもの作り変えているのだ。
否定的な方向にいくとそれは不幸なもめ事に発展し、肯定的な方向にいくとそれはきっとノーベル賞をもらうような大発明とかに発展するのかもしれないとふと思った。
この世はまだまだ面白い(*´▽`*)