あるがままの「私」
私たちが「私」だと思っているものは、実に不確かで不安定なものである。
だからこそ、私たちは確かな私を求めて次から次へと様々なことをして自分を確かめずにはいられない。
自分探しにどこかへ出かけずにはいられない。
そこには、「私」とは確実な存在であるべきだという思い込みがある。
だから今ここの不安定な不確かな私に満足できない。
「こんな私であるはずがない」「これは本当の私ではない」
という思考が働く。
自分を肯定できないので、当然ながら不安定で不幸な気分になる。
大事なことは、今ここの不安定で不確かな「私」を受け入れることである。
この不安定で不確かであるんだかないんだかわからないものこそ「私」そのものであるのだと見切って開き直ることである。
このなんだかわからないものこそ死ぬまで付き合う「私」なのだと腹をくくることである。
それができると不安定さに安らぐことができるようになり、不思議なことに逆説的に不安定な気分は消えていく。
悩み苦しみや不幸(幸福)な出来事そして喜怒哀楽の感情の、目の前に訪れてくること全ては「行く河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」というように去って行く。
幸せも不幸も瞬時に去って行く。
だから何があってもあるがままそのままにしておくのがいい。
あるがままそのままの不安定で不確かな「私」以外に私などないのだ。
ある時は確かな手ごたえがあり、またある時は「こんな私は嫌だ」と思うかもしれない。
どういうふうに感じようがそれでいいのだ。
何が起ころうが、それで完璧なのだ。