「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」
これは「奥の細道」に収録されているあまりにも有名な松尾芭蕉の句。
しかしこの句そのものには作者の存在が垣間見られない。
個人芭蕉が完全に消えている。
この句は何もない世界の静寂と蝉の声が賑やかな夢の世界が同時に描かれている。
堅い岩が何もない静寂(真の私)と夢の蝉の声をつなぐトンネルのような役目を果たしていて、蝉の声(夢)が岩にしみ入って何もない静寂へと消えていくその瞬間が描かれている。
個人の芭蕉が何もない静寂(真の私)へとシフトしたその瞬間、個人の私が消えたその瞬間を言葉で表現している。
言葉は思考の産物なのでこの句も思考の作り話にすぎないのだが、この句が人々を魅了する所以はそれが真実を表現しているからに違いない。
何もない静寂(真の私)と現れては消えていく夢の世界を同時に観切っているこの句の素晴らしさは夢の存在である作者も消えている点。
「賑やかな蝉の声も何もかも全てが岩にしみ入って何もない静寂へと帰っていき、あるのはただ静寂だけ」(自然に起こった筆者の解釈)と詠んだ点。
「こういう美しい世界を表現できる思考もまた捨てたもんじゃんじゃない」という思考もまた湧いてくる。