とてもシンプルなことに気づくと心は静かになる

 今晩は。 
 昨日から今日にかけて一泊二日で淡路島へ行ってきました。鳴門大橋を 一望できる露天風呂付きの部屋に泊まり、ふぐ会席を食べて心身共に緩 んできました。

 ところで今日は、12月12日(土)〜13日(日)に行われた、グル ープくりあ主催の「瞑想合宿 in 琵琶湖リゾート 一泊二日」に参加 した時、最初に聞いた伊東ドクターのお話を紹介したいと思います。

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ここで皆さんにお伝えし、共に味わっていこうとしていることは、とてもシンプルなことである。

私達は生まれてこの方、教育や環境によって、この肉体こそが私であり、また肉体に備わっていると思っている心、思考や感情やあらゆる過去の記憶や、そういった全てが私であり、それをすべてひっくるめて私の心と思って、それを当然として受け入れて生きている。

地球上のほとんどすべての人が、肉体や自分の心にどっぷり同化(同化とは、それが私だと思い込むこと)して、人生のあらゆる状況を経験しながら死んでいくという人生を送っている。

シンプルなこととは、この肉体が私だ、この心が私だ、と思って生きてきたこと自体が実は誤解だ、錯覚だったんだということに気づくことである。

最初はなんとなくから始まって、こうところ(瞑想合宿や青空禅フォーラム等)へ足を運んだり、瞑想を続けていくと段々確信に至っていく。

確信に至ると、この世界は完全に映画(映像)のようになってしまう。

だからと言って、しらけているわけではない。

実際には、映像の中にどっぷりはまって、私達が映像の中の主人公だと思って、映像の中に生きている。

どっぷりはまっている時の時の映像のドラマがハッピーエンドで幸せなままの映像なら、はまったままでもいいかもしれないけれど、往々にして私達の人生は、いいこと半分、嫌なこと半分と大体バランスよくなっているものである。

良いこと悪いことの二極の世界がバランスよくあって、その二極を行ったり来たりする波があって人生の状況は行き過ぎていく。

だから映像の中にはまったまま生きていると、二極のアップダウンに翻弄されて生きてしまうことになる。

例え幸せを感じてある時期全てが上手くいくように思えても、それが絶対永続しないのが映像の中の世界(現象世界)なので、必ずガックリくる。

しかし、人間というものは、不思議と永遠なるものとか、無限なるもの、普遍なる幸せ感や平和感を求めていたりする。

何故それを求めるかと言うと、実は本当の本質がそこにあるからなのである。

私達の本質はもれなくその永遠で、無限で、不動であるその至福感(平和感・静寂)であるので、映像のドラマの中にはまりこんでいても、かすかにその感覚を覚えていて、私達はその感覚に戻りたくなる。

その静かな呼び声に従って、人はそれなりに内面の探求を始めたりする。

その時大事なのは、現象世界の映画にどっぷりはまりこんで生きている自分が、私そのものではないということにどれだけ気づいていけるかということである。

元々の私の本質は普遍なる幸せ感(静寂・平和・愛)であることに気づいて、そちらの方にリアリティを移していくということである。

そうしていくことによって、この肉体的世界の映像にあった臨場感がそれを映像のように見ることで、臨場感が映像を見ている私の側に移行していく。

そうすると、どこか完全に余裕をもってあらゆる人生のドラマを見ていくことができるようになる。

病気の時や死に直面してさえ、それは映像である。

映像の中の私は、痛かったらもちろん嫌なので痛み止めを打っても当たり前なんだけれど、静かである。

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 この話を聞いて、私がイメージしたのは、キアヌリーブス主演の「マト リックス」という映画である。

 「マトリックス」という仮想現実の世界に住んでいた主人公が、次第に 仮想の世界のまやかしに気づき真の自分を取り戻すために戦うSF映画な のですが、この映画は単なるSF映画ではなく、とても奥が深い映画だと 思います。 
 般若心経の「色即是空 空即是色」という世界にも通じる内容を持った 映画だと思いますので、興味のある方はDVDを借りて一度ご覧になって ください。

 では続きは次回ということで、今日はこの辺で終わります。