優先順位は一番
今日の神戸は雨です。
そして寒いです。
昨日は確か、映像の中の私は痛かったら、痛いで痛み止めを打ってほし いと思ったりするが、静かである。
というところまででしたね。
… … … … … … … … … …
その静かな感じは、体験してみないとわからないことである。
しかし、そうなっていくと般若心経でいうところの「不生不滅」(生まれもせず、滅することもない)という感覚に段々入っていくことになる。
例えば、一般的なセラピーでは、ドラマ(映像)の中にはまりこんだまま、ドラマの中の上手くいっていないストーリーや欠点を何とかしようということをやる。
そういう色々な方法がたくさん世の中にはある。
しかし、それはドラマなので、上手くいったりいかなかったりする。
ドラマの中で、私のこの部分が悪いからこのパターンを解除しようとか、解放しようとか、トラウマがあるから癒そうとかするのは、ドラマの中の映像にすぎない。
それは、悪いわけではないけれど、それをやっていても上手くいくこともあれば、いかないこともあるという世界である。
たとえうまくいっても、ドラマは諸行無常の世界の映像だから、永続はしない。
ドラマの中でドラマをいじくり回すことに力をそそぐよりも、力をそそぐことそのものがドラマだと見きって、私はもうそのドラマの中にいるのではなく、ただ見ているものだということに気づき、見ている私に臨場感を移していくことに、エネルギーをそそいでいくことをお勧めする。
あらゆる苦しみ、嫌なストレス等、苦なるものの根源は何にあるかというと、ドラマのストーリーの中にあるのではなく、それが私だと思っている思い込みの中にある。
だから、「そうだったんだー!!」と気づいて、根っこである「思い込み」の方を断ち切ることに力をそそいだほうがいい。
この話を聞いて、是非この方向性でやっていきたいと、どこかで思われるなら、一番大事なコツの一つは、優先順位ということである。
生きていく上での優先順位を真剣に見直すことがコツである。
これが私だと思っているような錯覚を面白そうだと思い、是非それを感じてみたい、味わっていこうと思うならば、優先順位を一番にしないと絶対に無理である。
現実があるのだからまずこれをしなくてはとか、この問題を解決してから瞑想しようとか、マインド(心)はそういうふうに働き出すので、マインドの言うとおりにそういうことをしていると、私達はあっという間に死ぬ。
例えば、目の前にある問題が気になるから、これを片付けよう、片付けてから瞑想しようと思って、上手く片付いたとする。
片付いてもまたあっという間に、瞑想する前に次なる問題がやってくる。
今度はこれが欲しい、これが欲しいからなんとか得るためには、どうしたらいいのだろうという感じで、マインドは目の前のこれをなんとかしなくてはと思っている。
そういう風に私達は生きているので、人生の何十年かはあっという間に過ぎ去る。
あっという間に死の床に就き、死ぬ間際に「あっ、そう言えばあんなことが…」と思い出すかもしれない。
思い出して、「もうちょっと早くそのことに気づいて、真剣に気づきを持てばよかった」と思うかもしれない。
その時はすでに遅くて次の人生を待つということになる。
往々にして私達はそれを繰り返してきている。
… … … … … … … … … …
なるほど輪廻転生とはこういうことなのかと腑に落ちました。
繰り返しの人生は今生で終わりにし、永遠の幸せを感じていたいもので す。
今日はこの辺で お し ま い。