優先順位は一番

 今日の神戸は雨です。

 そして寒いです。

 昨日は確か、映像の中の私は痛かったら、痛いで痛み止めを打ってほし いと思ったりするが、静かである。
 というところまででしたね。

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その静かな感じは、体験してみないとわからないことである。

しかし、そうなっていくと般若心経でいうところの「不生不滅」(生まれもせず、滅することもない)という感覚に段々入っていくことになる。

例えば、一般的なセラピーでは、ドラマ(映像)の中にはまりこんだまま、ドラマの中の上手くいっていないストーリーや欠点を何とかしようということをやる。
そういう色々な方法がたくさん世の中にはある。

しかし、それはドラマなので、上手くいったりいかなかったりする。

ドラマの中で、私のこの部分が悪いからこのパターンを解除しようとか、解放しようとか、トラウマがあるから癒そうとかするのは、ドラマの中の映像にすぎない。

それは、悪いわけではないけれど、それをやっていても上手くいくこともあれば、いかないこともあるという世界である。

たとえうまくいっても、ドラマは諸行無常の世界の映像だから、永続はしない。

ドラマの中でドラマをいじくり回すことに力をそそぐよりも、力をそそぐことそのものがドラマだと見きって、私はもうそのドラマの中にいるのではなく、ただ見ているものだということに気づき、見ている私に臨場感を移していくことに、エネルギーをそそいでいくことをお勧めする。

あらゆる苦しみ、嫌なストレス等、苦なるものの根源は何にあるかというと、ドラマのストーリーの中にあるのではなく、それが私だと思っている思い込みの中にある。

だから、「そうだったんだー!!」と気づいて、根っこである「思い込み」の方を断ち切ることに力をそそいだほうがいい。

この話を聞いて、是非この方向性でやっていきたいと、どこかで思われるなら、一番大事なコツの一つは、優先順位ということである。

生きていく上での優先順位を真剣に見直すことがコツである。

これが私だと思っているような錯覚を面白そうだと思い、是非それを感じてみたい、味わっていこうと思うならば、優先順位を一番にしないと絶対に無理である。

現実があるのだからまずこれをしなくてはとか、この問題を解決してから瞑想しようとか、マインド(心)はそういうふうに働き出すので、マインドの言うとおりにそういうことをしていると、私達はあっという間に死ぬ。

例えば、目の前にある問題が気になるから、これを片付けよう、片付けてから瞑想しようと思って、上手く片付いたとする。

片付いてもまたあっという間に、瞑想する前に次なる問題がやってくる。

今度はこれが欲しい、これが欲しいからなんとか得るためには、どうしたらいいのだろうという感じで、マインドは目の前のこれをなんとかしなくてはと思っている。

そういう風に私達は生きているので、人生の何十年かはあっという間に過ぎ去る。

あっという間に死の床に就き、死ぬ間際に「あっ、そう言えばあんなことが…」と思い出すかもしれない。

思い出して、「もうちょっと早くそのことに気づいて、真剣に気づきを持てばよかった」と思うかもしれない。

その時はすでに遅くて次の人生を待つということになる。

往々にして私達はそれを繰り返してきている。

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 なるほど輪廻転生とはこういうことなのかと腑に落ちました。
 繰り返しの人生は今生で終わりにし、永遠の幸せを感じていたいもので す。
 今日はこの辺で お し ま い。