男と女は何故惹かれ合うのか
この暑さはまだまだ続くと気象情報で伝えていますが、みなさん身体の調子はいかがですか?
暑さ負けと疲れとでだるい日が続いたので、12日から16日にかけて避暑と休養と墓参りを兼ねて田舎に行ってきました。
携帯は圏外で夏でも蚊などいない所なのですが、今年は例年と違って耳元で「ぶーん」という蚊の音を聞きました。
それもこれまでと違う暑さのせいなのだとしみじみ感じたのですが、それでも日中でも扇風機もクーラーもいらない場所で5日間ぼーっとしていましたので、充分休養がとれて元気になりました。
引き続き22日まで休みをとって家でごろごろする予定です。
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まず最初に8月〜10月の広島での講座の案内です。
8月28日(土)14:30〜16:30 青空禅フォーラム
会場 広島市西区民文化センター 3F大会議室C(広島市西区横川新町6−1)
JR広島駅から山陽本戦で一駅西の横川駅表(南)口から歩いて5分のところです。
参加費 4000円
9月26日(日)13:00〜15:00 青空禅フォーラム
会場 Weプラザ 4F和室(広島市中区大手町5−6−9)
参加費 4000円
10月24日(日) 青空禅フォーラム 10:00〜12:00
接心会 13:15〜16:15
会場 宮島大聖院の客殿
参加費 青空禅フォーラム 4000円 接心会 15000円
両方参加の場合 18000円
申し込みは 鈴光美恵子 携帯:080-4266-0648
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続いて「男と女は何故惹かれ合うのか」というお話。
以前ブログに書いた6月の瞑想合宿で初日の午前中、伊東Drから「何故男は女に女は男に惹かれるのか?」という課題を出されました。
その日の夜まで各自考えて、思いついた答えを発表するという課題でした。
ヒントは「簡単だけれど深い答え」ということと
その答えを知るために有名なインドの聖者ラーマクリシュナは女装して女性達と一緒に暮らし女になりきった。
一番弟子の若くて健康な青年であるディベーカナンダがどうしても女性に惹かれ、それが修行の妨げになっていた。
ある日ラーマクリシュナは、ディベーカナンダを呼び「どうして男は女に惹かれるのかしばらく考えてきなさい」と言った。
ディベーカナンダは一生懸命考えたがはっきりわからなかったので、師に「わかりません」と答えた。
ラーマクリシュナが一言「……」と言うとディベーカナンダは電撃のように気づきを得た。
という話でした。
さてその答えは 「自分が男だと思うから」 です。
なんという単純な答えなんでしょう。
でもディベーカナンダも伊東Drですら考えつかなかった答えを参加者のYさんがさらっと答えました。
なんとYさんはこの日仕事のため遅れて夕方から参加したのですがとても飲み込みが早くて、意識の分野に焦点をあてて考えたところこの答えを思いついたそうです。
その場は拍手喝采!!!!!!!!!!!!!!!!で大盛り上がりでした。
男と女は何故惹かれ合うのか?
自分が男(女)だと思っているから。
当たり前なんだけれど、その答えは深い。
それは……
肉体は男(女)であり男(女)の名前をもらって生きているので、自分は男(女)だと1ミリも疑うことなく生きている。
自分は男(女)だと強く思い込んで生きている。
ほとんどの人は、意識が自分の肉体に同化して生きているので男女が惹かれ合うのは当たり前のことだと思い疑問すら抱かないが、性同一性障害の人ならどうだろうか?
肉体が男(女)なのに意識では自分が女(男)だと強く思いこんでいる人が男(女)に惹かれるのは、肉体が主体でなく意識が主体であるということ。
意識が、私は男(女)だと強く思い込んでいるから女(男)に惹かれる。
疑うこともないほど意識が完璧に肉体と同化している。
その答えを聞いたディベーカナンダは、すぐに「そうか、私は人間だと思っている」と気づいた。
人間にさえも意識が同化しきっている。
かくしてディベーカナンダは一気にシューッと追い求めていた境地に行った。
人間だと思っているから人間である。
豚だと思うと豚になる。(例 催眠術をかけられて豚だと言われた人は自分は豚だと思い込み豚の仕草をする)
それほど意識というのは観自在で何にでもなれる。
狼少年の例
意識がそう思い込んだらそうなる。
意識がすべて
男(女)だと思い1ミリも疑ったことがない。
人間だと思い1ミリも疑ったことがない。
すごく当たり前のことだけれど、究極である。
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まあざっとこんな感じだったでしょうか。
この話は以前ブログで書いた「意識が具現化する」という話をさらに究極まで掘り下げていった深ーい話だと思います。
この地点から見ると、私たちは雲にまみれて雲そのものと化して生きているんだなあと、人間という存在が愛おしく思われてなりません。
それにしても女になりきったラーマクリシュナは女性に惹かれることがなく、もしかしたら男性に惹かれたのでしょうか?
しかし、修行者というのは面白いことを考えつき実行するものなんですね。
それもこれも修行が優先だからでしょうか?
修行優先には生きられない私たちは、このような修行者のエピソードを幸せに生きる参考にしたらいいのではないでしょうか。