ハートを意識する
私は毎朝職場まで歩いて行くことにしているのだが、最近出勤時と帰宅時に、ハートを意識して歩くようにしている。
ハートを意識するということを知ったのは、昨年始めて参加した伊東Drの瞑想合宿(7月)なのだが、その時は合宿中はずっとハートを意識するようにしてくださいと言われていながら、気がつくと意識は常に思考に囚われている状態で、常にハートを意識することの難しさを思い知らされた。
伊東Drからはハートを意識することは、瞑想と同じだと聞かされてはいたのだが、雲減らしと一緒にハートを意識するのは難しくてなかなかできなかった。
瞑想や雲減らしにも慣れてきたので、次の実践はハートを意識することにしようと思い、歩きながら瞑想状態になることができるハートを意識することを始めることにしたわけだ。
初めてみると意外や意外、今までの瞑想や雲減らしの成果なのか、簡単にできて歩いているととても心地よく幸せな気持ちになれるのだ。
職場で嫌なことがあっても、ハートを意識するとすぐに心地よくなり嫌なことも忘れてしまう。
別に楽しいことがあるわけでもないし、何かをするわけでもない。
ただ歩いているだけである。
歩いているから幸せなのではない、ハートを意識しているから幸せなのだ。
ただあるだけなのだ。
何もせずただあることはそれだけで幸せなのだ。
しかも幸せなのは、私であって私でない。
ハートが幸せを感じているだけなのだ。
ハートは何もない空の世界と繋がっている。
いや、ハートなんてあるのかないのかわからないのだから、空そのものかもしれない。
空が幸せを感じているのかもしれない。
何もないのに幸せだけを感じている。
不思議だけれど、間違いなく幸せでわくわくする。
何をするわけでもなく、いいことが待っているわけでもないのにわくわくする。
何もないのにわくわくする。
何もないことは(空・無)はわくわくするほど幸せなことなのです。