自分の動機の背後に潜ってみる

 
 我が家は21日に引っ越しを控えているので最近は家の片付けで忙しいのですが、16日と17日の午前中荷物の整理をがんばってやった結果、予定通りに片付けが進んだので、17日の午後は、伊東Drの「健康と病気を越えて」講座に出かけました。

 いやあ今回は面白かったの一言では言い表せないくらいよかったです。

 そのお話を紹介したい気持ちは大いにあるのですが、実は前回(9月19日)の講座の紹介がまだでしたので、1ヶ月遅れですが前回の講座のお話を先に紹介したいと思います。

 9月の講座のお話も面白かったんですよ。

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何もせずまた考えるでもなくただ静かな状態でどれくらいいられるか試してみる。

しばらくすると落ち着かなくなり、何かをせずにはいられなくなる。
 
私達の意識はすぐに外の対象に興味をもって何かをする癖がある。

しかし、静かな状態を保つ時間が多くなると、余裕をもって生きることができるようになる。

禅の「吾惟足を知る」を心で理解すると、修行になってしまい必ず挫折してしまう。

「吾惟足を知る」は、何に対してのことなのか?

私達の感情や思考に対してではない。

私達は自分のことを肉体や心だと思っている。

最初は心が「吾惟足を知る」を実践していくしかないが、そのうちこつをつかむことができる。

その実践とは…
 
四の五の言わずに座っていると思考だらけにはなるが、そうなっても瞑想は自分に合わないと思う必要はない。

とにかく実践し続けていると、何とも言えず心地よい体験がやってくる。(そうなんですよ。)

そのうち自分で勝手に座りたくなる。

自分は(伊東Dr)はみなさんが挫折しないようにお手伝いさせていただく役目。

座るにはそれぞれの動機があるが、仏性・悟りを得ると考えると挫折するのでそんな風に考えない方がよい。

日々の生活で「吾惟足を知る」をシンプルに味わっている心境。

日常生活の中では喜怒哀楽はあるが、それが苦しみにはならなくなる。

「吾惟足を知る」はそういう落ち着いた心境。

ヒマラヤに登るような心境ではなく、淡々と静かに続けていける心境。

少なくとも、私達の思考・想念からは自由になっていく。

私達は思考・想念そのものではないという気づきを得て、スペースができてくる。

日常の中で自然と思考が落ちていく。
 
心で頑張って「吾惟足を知る」心境を得ようというやり方とは、全然違う。

心で頑張るというのは、意識が外に漏れ出ている状態。
 
深い睡眠の時は、意識が外に漏れ出ていない状態。

すでに全員そこにいる。=真の自分に戻る。

爆睡している時はただ眠っているだけだが、「爆睡状態」が真の私だと気づきながら日常生活を送っていると、目の前の現実は映像(夢)のようなものになる。

リアリティが「爆睡状態」になる。

心でがんばると必ず挫折することになる。

ものごとは自然にそうなる。

私達は爆睡状態を知っているけれど、往々にして目の前の現実に囚われる人生を送るものである。

爆睡状態にリアリティを感じようというのは、ここに座っているみなさんの決心にかかっている。

この世には様々なセミナーや教えがあるが、それに参加した時の真の動機に正直になることが大事。


動機はなんでもいいが、このようなセミナーに参加する時は、自分の動機に素直に向き合う必要がある。

今いる位置(動機)から始める。

自分の動機の背後に潜ってみる。

例えば、「恋人がほしい」という動機の人がいるとする。

何故恋人がほしいのか探ってみる。

実は達成したいもの(ほしいもの)の背後に隠れている達成感(自由・幸せ・満足感・安心・愛し愛される感覚)が存在する。

本当はそのようなエネルギー感覚がほしいのだと気づいていく。

思考はこのエネルギー感覚を感じるために、物事を対象物とする。

この思考を黙らせるためにそのエネルギー感覚(シンプルなこと)に気づいていく。

これがうまくできない時は、周りの友人に助けを求めた方がよい。

この感じがわかったら、しばらく(3ヶ月)はそのための瞑想をするとよい。

一緒にやっていく友人がいればなおよい。
 
3ヶ月くらいすると現実レベルでも違いがでてくる。

自分が一番囚われているのは何かを見つけて、それから始める。

問題や障害がなければほしいものでもでもよい。

「安心」をマントラのように唱えるのもよい。

ふりや演技でいいので、女優・男優になったつもりで演じる。

とにかく3ヶ月はやれるだけやってみる。

次第にフィーリングで安心を感じるようになる。=フィーリングを育てる。

自分の感覚で安心を感じるようになる。

友達を作って一緒に楽しみながらやる。

真我を深めている人は割合的に少ない。

「思考・想念から自由になる」がキーワード。

そうしなければ苦に陥っていく。

欲望というものを見切っていくのも大事。

欲望達成ゲームは達成してもしなくてもどちらにしても苦しい。

達成すればしばらくは満たされているが、また次の欲望が湧いてくる。

1億ためた。→5億ためたい もしくは 1億キープしたい等々欲望は果てしない。

欲望とはそんなもんなんだと見切るといい。

自分が自分に素直(正直)になった時、自分が最も囚われているものに向き合うと、それが真我へ導いてくれるてがかりになる。

この話を持って帰ってすぐやってほしい。

タイミングが大事。

ものごとはすべてタイミングで起こっている。

大事なのはタイミング。

ハートに種を植えて、友達を作って育ててみよう。

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 次第に盛り上がっていったという印象が強く残っている講座でしたが、内容を記録したノートとその場のエネルギーを思い出しながら書いていくと、自分でもやはり最後に向かうにつれて盛り上がっていきました。

 私なりの超シンプルな解釈では、多くの人が厳しい修行によって求めるいわゆる悟りの境地だとか仏性とか真我とか言われるものは、私の外にあるのでもなく、特別な人のみに備わっているものでもなく、すべての人にとってすでにそこにある(真の自分)ので、ただそのことに気づくだけでいいのだということです。

 そして気づくために、爆睡状態と同じ状態に陥れる瞑想を続けることを勧められるのだと思います。

 また仲間を作ってお互い助け合いながら一緒に育てていくことで、人と人、人と自然などが分離しているのではなく本当は一つであるということにも気づくことができるだけでなく、真我もさらに深まってくのだと思いました。

 引越しを無事終えて少し落ち着きましたら、10月の講座の目から鱗の面白いお話を紹介させていただきます。

 乞うご期待です。