ルビンの壺ー怒りから笑いへ実践編
去る11月23日(日)Dr.伊東からルビン壺(心理学でよく例として使われる壺にも二人の人間の横顔にも見える絵)を例えにして青空意識に至るこつについてのお話を聞きました。
今日は、私が個人的に理解したエッセンスと怒りが笑いに変わったルビンの壺的実体験をシェアします。
私たち人間は壺と横顔の両方のリアリティを同時に認識することはできず、どちらか片方のリアリティしか認識できない。
しかし壺も横顔もすべて図(現象界)の話であって地(青空意識・真我)とは何の関係もない。
何故壺が見えたり横顔が見えたりするのだろうか?
「なきものはなし、思えばただちにあらわれる」
意識は時間を必要としないので、軽く意図するだけで違って見える。
確かに壺だと思ったら壺に見え、横顔だと思ったら横顔に見えました。
「軽く意図する」というのはこの世の現れの秘密(もしかして引き寄せの秘密かも?)
しかし、青空意識にとっては壺に見えようが横顔に見えようが、図は図にすぎない(ただの現象)。
壺も横顔もどちらよしというのが地(青空意識)にいるということ。
地に入ればすべてよし。
圧倒的に地に根をおろしておいて図を味わう。(人生を楽しむこつ?)
私たちは因果と連続性(時間)に縛られたニュートン物理学の世界に生きているので、青空意識を感じるためには因果なしで不連続の量子的変化を味わうのがいい。
例
壺(怒り)→ゼロ(空・地・永遠・無心の一呼吸)→横顔(笑い)
私たちは、怒りおきたら怒りから変化するためにその理由や原因を探してしまう世界(ニュートン物理)に生きているが、そうし始めたら一歩も動けない。
思考について行ったら答えはないので、怒りがきたら無心の一呼吸(ゼロ)をして、「この思考はどこからやって来たのか」と問うて軽く源に目を向けて1秒以上(0.5秒以内の出来事は認識できない)沈黙する(ゼロ)のが変化のこつ。
とにかく問うことのみが大事で答えを求める必要はない。
私の理解ではこんな感じのお話でした。
毎回目が覚めるような感じでただただ楽しく聞いているのですが、この話を聞いた翌日のこと、たあいもない行き違いから私と夫は夫婦喧嘩を始めました。
最初は聞き流していたのですが、次第に巻き込まれ、売り言葉に買い言葉的な感じになってエスカレートしそうな勢いになり始めた時、「思考について行っても答えはない」という言葉が浮かんできて、「このへんでやめて源に目を向けてみよう」とふと思ったので、夫の顔が見えない場所へと移動し1秒以上無心の呼吸をし「この思考はどこからやってきたのか」と問うてまた1秒以上沈黙しました。
「何もない!!」本当に全く何もありません。
「あれっ?」笑いのさざ波が起こり始めました。
私は今度は「私は誰」と問うて1秒以上沈黙してみました。
「何もない(°д°)!!!!」
ついに吹き出し涙が出るほど大笑いをしてしまいました。
かくして図(現象界)のエネルギーは瞬時に変化することを味わい、またまた角度を変えれば違う世界が見えたのです。
ゼロの偉大さに敬服。