青空禅フォーラム in 沖縄(静かなる心という贈り物) その2
I am being. 「私はある!」という感覚。
宗教に関係なく原初的で純粋な感覚はある。
意識なるものはあらゆるものやことに気づいている。
「私はある」と「気づいている」という共通の感覚になるべくとどまるのがよい。
しかしながら私たちは朝から夜まで私たちは目の前のできごとに関心があるので、この共通の感覚に関心が向かうことはほとんどない。
目の前の出来事(雲)に関心を向けて思考ウサギはいつも飛び跳ねている。
意識そのものは「私はある」と「気づいている」に関心をもっている。
気づきにはすごいパワーがある。
思考は因果の中でしかものを考えず、結果の原因を探ることしか興味がない。
量子物理学では原子内空間は因果が壊れている(青空禅フォーラム in 東京の話にもでてくる)。
原子内空間は因果律が崩壊している空間でそれ以外の空間とは連結していない。
タイトルにある「静かなる心」はこの原子内空間にある。
青空意識のエッセンスである「吾唯足るを知る」の「唯」というのは、「何の理由(原因)もなく」という意味で、原子内空間を表現している言葉。
だから因果の中で静かなる心を探して達成しようとしても虚しくなったり、まだまだだと思ったりするしかない。
上手くいこうがいくまいが、反復練習(実践)こそがコツ。
上手くいこうがいくまいが、揺れ動いている心身や思考に気づいてそこにとどまる。
思考について行かずに思考に気づいて気づきにとどまることを反復練習する。
思考⇒気づく⇒気づきにとどまる(無心の一呼吸)
私たちの外側にはモノ(色・形)と空間があり空間的世界が広がっている。
内側には雲(思考・感情・気分・イメージ・記憶)と青空(意識)があり、思考は時間と共に来ては去っていく。
静かなる心は意識(青空)を探せばよい。
私たちは起きた瞬間からモノにフォーカスして生きている。
空間を直視することはできないので、視野全体に意識を置く(リラックスして見るともなく視野全体を見る感じ)ソフトアイという見方で見るとα波がでてきて脳によい。時々ソフトアイで見る実践をするとよい。
内面は外側のように空間を見ることはできないので、このソフトアイと同じ感覚で一つ一つの思考にピントを合わせず流れゆくに任せる。
そうすると時間をかけずに気づく(あっという間)ー心身脱落禅ー間に落ちてしまう。
静かなるまなざしで見ているので全員もれなくそれに気づく。
特別な人だけ到達できるというのは単なる錯覚。(自我・エゴ)
その錯覚に気づいてほしい。
雲そのものがエゴ(自我)ではなく、錯覚こそがエゴ・自我である。
私とは何者かということに関する錯覚が苦しみをもたらす。
無心の一呼吸やソフトアイをぜひ日々実践してほしい。
雲が私だと思っている私から退いて青空へと広がってくつろぐためにはそれぞれが自分に合ったやり方でリラックスタイムを持つことが大事。
リラックスという言葉の語源は、後ろに広がってくつろぐという意味。
歌や踊りその他諸々楽しめばリラックスできるので、なるべくリラックスすることに時間を割きましょう。
以上青空禅フォーラム1日目の報告でした。