不確さに安らぐ

子供の頃から、時々自分や周りの世界を不確かに感じていた。


自分や周りの世界はあるように見えているんだけど、触ったら確かにあるんだけれど、何かどこかぼんやりしていてあるんだかないんだかよくわからない感じがしていた。


他人を観察していると、そんな風に感じたり思ったりしている人はいないようなので、ずっと自分は変だと思っていた。


しかし、伊東Dr.から青空意識(非二元)について学んで様々な実践をしているうちに、最近はその自分があるんだかないんだかわからない不確かな感じが普通になってきている。


そして、気づいた。


この感覚こそ私たちの本質への入り口なのだと。


自分感覚が不確かだからこそ、多くの人々はどこかへ行って何かをすることによって自分を確認しようとするのだ。


けれど、自分という主体がないとしたら…この自分があるようなないような感覚こそが探し求めている自分そのものとなる。


この不確かな感覚以外のところに自分はいない。


確かな自分を求めるために不確かな自分から遠ざかる必要はない。


不確かな自分にとどまればいいのだ。


そこにとどまれば、その不確かさが確かなものとなる。


そこに安心する。


だから、この自分があるようなないようなよくわからない感じ、これでいいのだ。


もうここにそれがあるから他を探さなくていいのだ。


自分の本質はいつもここにあるので、永遠にここにあるので探す必要はない。


不確実さに安らぐだけ、それだけでいいのだ。