誰がブログを書いているのか?

浮かんできた言葉やイメージを繋いで時々ブログを書いている。


友人たちには、「私…時々ブログを書いているのよ。」等と言ったりする。


けれど思い通りに書けたことなど一度もない。


それどころか「こういうことを書こう」と決めて書き始めると、論旨が途中で必ず違う方向へと向かい始めて自分で自分の文章をコントロールできなくなる。


何も考えないでその時々に浮かんできたことを書き綴るのが一番いい。


自然に浮かんできた言葉を書き綴るのは、まるで川が流れるようで心地よい。


テーマや趣旨にこだわらずに流れるように書くのが心地よい。


コントロールはせずに全体性にお任せするのが心地よい。


自分でコントロールできないのだから当然「私」が書いているとは言えない。


今パソコンの前でこのブログを書いている。


おぼろに断片的な部屋の壁とか窓が見える。


頭に浮かんでは消えていく言葉や感情やキーボードを打っている両手(自分だと思い込んでいるもの)等を含めて、今ここにある世界しかない。


分離して存在しているように見えていても、映画のスクリーンやテレビの画面のように何もない空間を含めて全てが一つの世界である。


この世に起こっていることの全てが全体性の表現(命の活動)であって、一つ一つのバラバラな活動(表現)ではない。


目の前で起こっていること全てをひっくるめて一つの活動(表現)である。


たくさんの命(物や出来事)があるのではない。


全体として一つの命しかない。


それが全体性である。


分離のない一つの命=(全体性)


私という主体なんてどこにもいない。


ブログを書いている私はいない。


今このブログを書いているのも一つの命(全体性)。


この世の全ての活動(表現)は全体性が行っている。


だから全てお任せするのが一番いい。