時空の隙間に落ちたなら

本当に 本当に 今ここ 目の前のことしかない。



後ろはない。



右もない。



左もない。



過去もなければ未来もない。



右を見たら、それが今ここ 目の前になり、



左を見たら、それが今ここ 目の前になるだけ。



今ここ以外には何もない。



神戸に住んでいる私には、東京も大阪もアマゾンも北極も何もない。



もちろん神戸も名前なので、今いる目の前しかない。



今夫と娘の話し声が聞こえているが、二種類(かどうかも不明?)の話し声(名前をつける前はただの音)しかない。



そういう音とか目に映る風景とかが常に変化し続けている。



無限に変化している。



だから目の前に起きていることはいつも新しい。



私たちはいつも新しいことに出会っている。



一期一会とはこのことである。



無限というと数が多いような印象を受けるかもしれないが、数が多いというのは有限的な印象であって、無限(永遠)というのは始まりも終わりもないので何もないということと同じ。



新しいことが無限に起きていると同時に何も起きていない。



今こことはそういう時空の隙間のことである。



それが自己の本質(本当の私)。



もし有限に生きている私達がそういう自己の本質に気づくとしたら、それは心身共にリラックスした隙間だらけの時に、何かの拍子に偶然時空の隙間に落ちた時であろう。



ほんの一瞬、インスピレーションのように「あっ…」というように本質に気づく。



そしてすぐにまた元の有限に戻ってしまう。



それを何度も何度も繰り返して、やがてほんの一瞬気づいた本質こそ真実なのだという確信に至る。



もしそういう一瞬を味わいたいのなら、できるだけリラックスしてぐだぐだでいるのがいい。



できるだけ頭で考えないほうがいい。



何が起こっても、「これでいいのだ〜」とヘラヘラ笑っているのがいい。



頭脳明晰より馬鹿がいい。