問題は思考癖(パターン)から作られている。

思考は常に、絶え間なく起こっている。



それはまるで川が流れるように、次から次へと絶え間なくやって来ては去って行く。(「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」)



思考の99%はあまりにも自然に起こっては消えていく(本当は起こることと消えることは同時なのだが、イメージしやすいように時間的な捉え方で説明している)ので、私たちは思考が起こっていることにも気づいていない。



しかし、「私」だと思い込んでいるこの肉体や心はある刺激が訪れるとそれに対して自動的に反応するという癖(パターン)がある。(「自動反応+思考の後付け=ストーリー(作り話」)にも書きました。)



特にマイナスの刺激には強く反応し心身が収縮し硬くなる。



そしてその刺激についていってしまい、次から次へと金魚の糞のように思考を付け加えてストーリーを作り続け、ついにはそれを自分の悩みや問題にしてしまう。



つまり99%の思考は何の問題もないのだが、残りの1%の思考が問題を作っているのである。



ほんのちょっとした出来事に自動反応して生まれた1%の思考や感情や想念にフォーカスし続けてそれをどんどん大きくしていってついには、その思考が100%のように感じられて悩み苦しむことになる。



私の拙い記憶によると、鬱状態の時は何日も同じ思考が繰り返し頭の中をぐるぐると回り続けて、ついにはその思考が心身を蝕んで眠ることも動くこともできなくなった。



今にして思えば、ほんのちょっとした出来事に反応して起こった思考について行き、ありもしないストーリーを作り続けたせいである。



本当はただストーリーがあるだけなのだが、この心身を私だと思い込んでいるため「私が鬱病で苦しんでいる」という思考が起こり、挙句の果ては自殺したりすることになるのである。



全員もれなく1%の思考に苦しめられているだけなのである。



99%の思考は自然に起こっては消えていくだけなので、あるがままほっておいてOK。



残り1%の自動反応しやすい思考の癖(パターン)にまず気づくことが大事。



気づくことができれば、自分が嫌と言うほど時を変え対象を変えて同じパターンを繰り返していることにも当然気づくはず…。



何度も同じパターンを繰り返しながらも気づき続けていくことで、次第にゆとりができてきて、同じパターンを繰り返しても「あらっ…また同じことを繰り返しているわ…」と深刻にならず笑ってその気づきにつきあっていけるようになる。



自動反応だから自分でストップすることができないけれど、違う角度から見ることでとらえ方を変えることは誰にでもできる。



不快な出来事に自動反応して次から次へと思考を付け加えていっても、そのことに気づくことさえできれば、それは本質に気づき捉え方を変えるチャンスでなのである。(これを伊東Dr.は「おいしいフルーツ」と言われた。)



大事件(問題)ほどビッグチャンス。



自分の思考パターン(癖)に気づいたら、深呼吸してニッコリ笑い「ウエルカム」と言ってみよう!!



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