「〜べき。」「〜ねばならない。」がなくなって自由になっていく。

青空意識・非二元・真の私・全体性等々様々な言い方をするが、全て同じものを指している。



言葉(思考)の少し前の世界・私という点を打つ前の世界。



言葉がないから枠組みがない。



枠組みがなくて自由と愛しかない。



だからこの世界に触れるようになると、二元の世界での様々な枠組みが剥がれていく。



こうあらねばならないあああらねばならないが剥がれ落ちてなくなっていく。



剥がれ落ちて何もなくなっていく。



実際に瞑想の時など、枠組みがばりばりと剥がれていく感覚を味わう人もいるらしい。



元々枠組みなど何もなく生命エネルギーだけだったのに、言葉が生まれて名前と言う枠組みを作りスペシャルな存在をたくさん作り上げた。



混沌として分離がなかったものを名前を付けて分けてしまった。



スペシャルな存在を尊ぶために「こうするべき ああするべき」というさらなる枠組みを作った。



けれど私たち人間が本当に求めているのは何もないふるさと。



真の私。



真の自由。



真の愛。



本当はそこへ帰るのは簡単なんだよ。



もれなくみんなすでにそうなのだから…



そこからどこへも行ったことがないのだから…



ただ気づいて思い出せばいいだけ。



何度も何度も気づいて思い出しているうちに、「〜べきだ。」「〜ねばならない」が剥がれ落ちて少しずつなくなって自由になっていく。