何もない…。
私たちはみんな真の私(全体性)が見ている夢。
真の私はただあるだけで何もないので、
真の私は全体しかないので、
何かがたくさんあるような、分かれてあるような夢を見たかったのだろうか…?
けれど夢だから儚くてすぐに消えてしまう。
だから真の私は次から次へと夢を見る。
夢と夢は決して繋がってはいない。
それはあたかも映画のフィルムのコマのように切れている。
しかし、夢の登場人物の個人の私は切れたコマを思考で繋ぎ自分のストーリーを作ってそれを私だと思い込んでいる。
連続した自分なんてどこにもいない。
毎瞬毎瞬別人なのだ。
つまり、連続した自分はいないということだ。
私だと思い込んでいるだけで夢の中の私はつながっていない。
夢の中の私は、実質がない。
真の私(全体性)も夢の中の私も何もない。
何もないのが真実。