思考の罠

今朝伊東Dr.のもとに集う和サンガメンバーの一人とメールでやりとりしていて気づいたことを書いてみようと思います。


私たち人間は常に何かを探求しているものだが、こういう非二元や禅等を探求している個人が陥りやすい罠として、



「私はまだまだAさんの域に達していない」



「Bさんのような体験をしていないからまだわかっていない」



という思考に支配されることがある。



これは一瞥体験もしてかなり深まっている人が陥りやすい思考である。




思考は「本当は何もない」とか「このままで全て完璧」とか「この世の全ては夢である」などということはあってはならないと考えている。



だから、誰かがそういうことを感じて腑に落とそうとすると、ありとあらゆる手を使って妨害をしかけてくる。



例えばXさんがまさに個人を脱して全体性にシフトし始めると、思考はXさんよりもっと深まっている世界があるように見せてXさんにまだまだだと思わせる。



Xさんがまんまと罠にはまり、「私はまだまだだもっと努力しなくてはダメだ」などという思考にとらわれようものなら、



思考は「してやったり」とほくそ笑んでいるに違いない。



釈迦が悟りを開く禅定に入った時、瞑想を妨げるために現れた悪魔のことを「マーラ」と呼んだというエピソードがあるが、



私は密かに「マーラ」とはあの手この手を使って悟りの邪魔をする思考のことだと思っている。



最終段階になればなるほど思考は必死になって邪魔をしてくるので、



まんまと思考の罠にはまって、「わたしはまだまだだめだ」などという思考に乗っ取られないようにしてください。



いいえ、乗っ取られてもいいから、乗っ取られていることに気づいてください。



気づいたら深呼吸をして「わはは…」と笑い、思考についていかないでください。



それでOKです。



悟りとは、



青空意識とは、



真の私とは、



人知を超越するようなすごい状態とかじゃなくて、



起こっていることに気づいている、



ただそれだけのことなのです。



私たちは誰でも気づいています。



マーラの誘惑に負けなかった釈迦と同じように「思考が罠を仕掛けてきた」と気づいています。



衆生本来仏なり」(白隠禅師) 



追伸ーマーラは悪魔のことですが、思考は決して悪者ではないので思考を悪者扱いしないでくださいね。m(__)m