腰痛のおかげで大きな気づきがありました。

昨年12月25日大阪和サンガ4期継続コースが行われたのですが、前夜のクリスマスイヴに突然歩くのもきついといった腰痛に襲われたので、やむなく25日の和サンガを休むことにしました。



ところがそのおかげで大きな気づきがあり、大阪和サンガのメーリングリストでシェアしたところ、伊東Dr.からいただいた返事の内容が素晴らしかったので、お裾分けしたいとおもいます。



以下がメーリングリストのやり取りです。


まず私のメール

「伊東先生並びに大阪和サンガ4期のみなさん、こんばんは。



25日は腰痛のため休んでしまいましたが、そのおかげで大きな気づきがあったのでシェアしたいと思います。



25日の朝は忘年会だけ休んで講座には参加しようと思っていたのですが、歩くのも苦労する状態だったのでやむなく欠席することにした時は、「今年最後の和サンガなのについてない」とかああだこうだという思考が湧くは…、身体を動かすと腰は痛いは…で散々な感じでした。



しかししばらくしてあることに気づいたのです。



マイナスの思考がまるで漫画の吹き出しの様にあれこれと湧いてくるのと同時に腰痛もあり、さらにそれらの現れと同時に満ち足りている静寂があるということに気づいたのです。



思考や腰痛などの現れは刻々と変化していきますが、満ち足りた静寂は決して変わることはありません。



2元的に言えばあまりよくない状況ですが、その傍らにまるで寄り添うように穏やかで満ち足りた静寂が存在することに思わず感謝しました。



とても素敵なクリスマスプレゼントだなあと思ったのですが、翌日さらに大きなプレゼントがありました。



なんと我らがYさんが、翌日26日前日の和サンガの録音を全て宅ファイル便で送ってくれたのです。



それだけでも大感動なのに、瞑想の後のクリスマスにちなんだイエスキリストのエピソード(村々を話をしながら巡っていたイエスがある寒い日訪れた村で村人の誰からも食べ物と寝る場所の提供を受けることができなかったが、それを知ったイエスは弟子たちの前で「父(神)よ…」と神に感謝と祈りを捧げた。しかし弟子たちはこんな時に神に感謝するイエスを不思議に思った。というエピソードが話され、その時イエスに何が起きていたのかについての解説はまた今度という内容でした。)の録音を聞いて衝撃を受けました。



ある村の住民の全てから食べ物や寝る場所の提供を受けることができなかったイエスが父と呼んで感謝したのは、きっと私がクリスマスプレゼントだと思った満ち足りた静寂に違いないと思ったのです。



食べ物や寝る場所といったものは現れにすぎず常に変化していくけれど、穏やかで満ち足りた静寂はたとえどんなことが起こってもいつも傍らに存在し不変(永遠)です。



この穏やかで満ち足りた静寂こそ、真我とか全体性とか神とか言われるものなのでしょう。



もしも私がイエスキリストなら、食べ物も寝る場所もない寒空でも変わることなく傍らに存在してくれる穏やかで満ち足りた静寂(神)に感謝するのではないかと思ったのです。



会ったこともないイエスキリストと時を超えて繋がったような気がしました。



エスの話をしてくれた伊東先生・録音を送ってくれたYさん・和サンガの全てのメンバー・そしてこのようなエピソードを残してくれたイエスとその弟子たちへ、スーパークリスマスプレゼントをありがとう。



そしてどんな時でも存在している穏やかで満ち足りた静寂にただただ感謝します。



Aさんと伊東先生がおっしゃっているように、本当に「吾唯足るを和す」ですね。



大感謝(人''▽`)ありがとう☆」



続いて伊東Dr.のお返事メール

「大阪和サンガ4期の皆さん、こんばんは。



今年最後の和サンガは、丁度クリスマスでした。



Mさん、腰痛だったんですね。お大事にして下さい。しかし、そのお陰もあって、とても素敵な気づきのシェアーをありがとうございます。



現れの世界がどのような状況でも、決して変わらない穏やかで満ち足りた静寂があること。



正に、Silent(静寂)こそHolly(聖なるもの)です。



この満ち足りた静寂は私達の真の内面に常にあります。



真の内面とは、心の側、つまり思考、感情、観念などがある側ではありません。



外側の物質世界と内側の心の世界とは、コインの裏表の様に互いに相関し合っており、これらは全て変化して止みません。



外側にも内側にも、決して変わらない穏やかで満ち足りた静寂は見つけられないのです。



外側と内側は、コインの裏表!コインの裏表をひっくるめて外面、現れの世界です。



真の内面は、外側と内側の狭間に、気づきとして、ただ在る。




ここをハートと言うのです。




皆さん、ハートの穏やかで満ち足りた静寂に寛ぎながら、よいお年をお迎え下さい。



今年も共に皆さんと学べた事に感謝しています。



来年もどうぞよろしくお願いします。〓



伊東 拝」



外側と内側の狭間に気づきとして、ただある静寂。



これこそイエスキリストが神と呼び、お釈迦様が般若心経の「色即是空 空即是色」で「空」か呼んだものであり、私たちの故郷である真の私なのでしょうね。