真我は対象物ではない。−ラマナ・マハルシの言葉その11

真我に気づくことが大事だとはいうものの、それは真我に向かって努力することとは全く違う。



真我は対象として向かうところではなく、現れと現れに対する反応の隙間である。



現れという刺激に対して心がなんらかの反応をする時、何かがそのことに気づく。



何かがそのことに気づいた時、一瞬反応が止まり隙間(空間)ができる。



それこそが気づきの意識と呼ばれる真我である。



さて今日ご紹介するラマナ・マハルシの言葉は、



= 無欲が智慧である。二つのものは別のものではない。



無欲とは、心がどのような対象物に向かうことも差しひかえることである。



智慧とは対象物が現れないことを意味している。



真我以外の何ものも求めぬことが無執着、あるいは無欲であり、



真我をけっして離れないことが智慧である。 =



「静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに」より