真の吾は唯足るを知っている。
「吾唯足るを知る」とは禅において自己の本質について語った言葉である。
自己の本質(真我)は常に満ち足りていて静かである。
しかし、私たちがが個人の「私」だと勘違いしている思考・想念・感情+身体は、常に足りないと思ってあれこれ行動して止まない。
だから思考・想念・感情+身体はこういうものだと見切って諦める(明らかに見る)のが肝心である。
「個人の私(勘違い・錯覚)は死ぬまで足るを知ることはなく静かになることはない」と見切って諦めるのである。
しかし、個人の私だと錯覚している現れと同時に穏やかに満ち足りた静寂(真我)が存在しているので、そのことに気づくことが何よりも大事である。
「足ることを知らない」現れ(錯覚)の私と同時に「唯足るを知る」真我を同時に観切ることが肝心である。
コツは気づくことである。
気づくことで隙間ができる。
その隙間が真我である。
気づくことを実践し続けることにつきる。
真我に気づくことで、何が起こっても何も起こっていないことと同じであり大丈夫であるということにも気づく。
真の吾は唯足るを知っている。ヾ(*´∀`*)ノ