誰もが永遠の真我に気づいている。 ラマナ・マハルシの言葉その14

昨日のブログに「隙間(空間)である真我に気づく実践が大事」みたいなことを書いたのだが、本当はどんな時も誰もが既に気づいている。



ただ個人の私という意識が強いので、気づいているという意識に乏しい。



だから、気づいていることに気づくということが大事であろう。



その感覚が少しでも感じられたら、かなりいいせんいってるはずである。



もちろん気づいているのも、気づいていることに気づくのも個人の私ではない。



ラマナ・マハルシはこんなことを言っている。



= 人は意識である真我と感覚力(生命力)のない身体を混同するために惑わされる。



この錯覚は自我とともに起こる。

それは立ち現れては消えていく。

だが、実在は永遠に変わらない。



誰もが永遠の真我に気づいている。



彼は数々の死にゆく人を見ながらも、自分だけは不死だと信じこんでいる。



なぜなら、それが真理だからだ。

意図することなく、真理はそれ自身を主張するのである。 =



「静寂の瞬間 ラマナ・マハルシとともに」より