隙間・狭間・空間・空白等々で表現される何もないところを意識せよ!!

真我・全体性・神・大いなる者・純粋意識等々の名で呼ばれる存在は、ただあるだけで姿や形はありません。



「じゃあどうやってそれを感じればいいの?」という思考が湧いてくるはずです。



コツは気づくことだと何度も言っていますが、もう少しわかりやすいヒントとして



メーリングリストの伊東Dr.の言葉を紹介します。



= 思考と思考の間、

吐く息と吸う息の間、

掌で身体に触れる時の
掌と身体の間、

外面の世界へ向かう意識と自分の内面に向かう意識の間、

これらの全ての間、空白に注意を向けましょう。

これらの間の空白に、対象を持たない純粋なる気付きがあります。

純粋なる気付きは、すでに全てを知っています。=

伊東



ここで大事なのは「対象を持たない純粋なる気付き」というところです。



空間以外の現れの世界ではどんな場合でも、「私」と「私以外の対象」という分離なくして気づくことはできないのですが、何もない空白ではただ気付きだけが存在するのです。



それが「ただある」と表現される気付きの意識なのです。



この世界にはありとあらゆるものが存在しているように見えていますが、それらは全てこの気付きの意識(真我)が作り出した幻(夢)であって、本当は見ることも触ることもできない意識だけしか存在していないのです。



「それしかない」とはそういうことなのです。(/・ω・)/